Oct 17, 2023 column

いまに響く猪木問答 ドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』 

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2022年10月1日、燃える闘魂・アントニオ猪木(79)逝去。
あれから1年、2023年10月6日ドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』が公開された。

公開されたドキュメンタリー映画には、オカダカズチカ、棚橋弘至、藤波辰爾、藤原喜明といったレスラーたち、そして猪木を撮影し続けた写真家の原悦生、猪木によって人生に影響を与えられた有田哲平(くりーむしちゅー)、神田伯山、安田顕らが登場し、アントニオ猪木とは何だったのかを語る。

本作は、実際の試合の映像、関係者へのインタビュー、そして猪木に魅了された男の人生ドラマから構成されている。当時を知る者、そして知らない者たちは、このドキュメンタリー映画に何を見るのか、そしてアントニオ猪木がプロレスに込めたメッセージは、今の時代に何を伝えるのか。

出る前に負けること考える馬鹿がいるかよ

あのとき、プロレスは常にピリピリしていて、リングには殺気を感じた。

「出る前に負けること考える馬鹿がいるかよ」

このドキュメンタリー本編にはアントニオ猪木が残した名言が数多く詰まっている。

あれは1990年2月10日、新日本プロレス東京ドーム大会。メインイベントは、アントニオ猪木&坂口征二VS橋本真也&蝶野正洋のタッグマッチ。いわゆる下克上の組み合わせにテレビ朝日アナウンサーの佐々木正洋の、「負けると言うことがあると、これは勝負のときの運という言葉では済まされないことになりますが?」という問いかけに猪木は、怒りを見せビンタを喰らわせた。これが闘魂ビンタの始まりである。

1999年に新日本プロレスに入団し、現在トップレスラーである棚橋弘至が語る、「闘魂は一筋縄ではいかない。言葉ではシンプルだが、猪木さんの情念、その時のプロレスの立ち位置、いろんなものが絡まっている。プロレスの原動力のひとつは、マイノリティが故の生き抜く強さ」だと。

本編は、燃える闘魂が歩んできた道をなぞりつつ、周りを取り巻くレスラーたちの言葉とともに、ファンが猪木と邂逅する内容だ。プロレスに熱狂した世代は、改めてアントニオ猪木の闘魂を感じてほしい。

1943年、横浜の裕福な家庭に生まれた猪木寛至は、1957年でブラジルへ移民、奴隷文化の名残があるコーヒー農園で働き、サンパウロの中央市場で担ぎ屋をしていところ力道山にスカウトされる。
1960年17歳でアントニオ猪木としてデビューし、現役生活38年。1972年に新日本プロレスを旗揚げし、1998年の引退試合、東京ドーム超満員の7万人。これは今もなお破られていない。

1971年、レスラーの待遇面の向上を求めるクーデターが失敗に終わり、所属していた日本プロレスを追放となった猪木は、翌1972年、大田区総合体育館で、新日本プロレスの旗揚げ公演を行う。
当時若手であった藤波辰爾によると、猪木の元妻で新婚早々の倍賞美津子や姉の倍賞千恵子も総動員で手作業で準備をしたそうだ。翌年にはテレビ放送が始まり、70〜80年代に空前のプロレスブームを起こす。そんな中、1976年6月26日、格闘技世界一決定戦、モハメド・アリとの異種格闘技戦が日本武道館で行われるのだ。

1972年に入団した藤原喜明は、「すごい緊張感があった。負けたらプロレス界から抹殺される」ような空気感だったとモハメド・アリ戦当時を振り返った。

このアリ戦を見た、アクラム・ペルーワンが挑戦を表明。今度は興行としてではなく敵地に乗り込むことになった。1976年12月12日、パキスタンの都市カラチにあるナショナルスタジアムで試合は行われ、当時のパキスタン大統領も観戦、7万人の観客が集まり、リングの周りにはライフルを持った兵士が囲んでいる、異様な状況だった。

この試合にも帯同した藤原曰く、猪木が「折ったぞー!」と叫び勝った瞬間、「俺たち生きて帰れないな」と思ったそうだ。猪木がそんな国でこの勝負を受けたのは、「金になることなんでもやってやろう」という気分だったからだそう。当時33歳、何十億という借金を抱えていた。生涯200億を稼いだとも言われる猪木だが、ことあるごとに金の工面に苦労していたそうだ。

敵は目の前の敵以外にもいた。それは世間の声だ。

藤浪が語るには、八百長論に猪木は敏感で、プロレスの地位を向上への意識を常に持っていたそうだ。一方で、こうも言う。

「あの人ほどの演出家はいない。試合前、準備運動しながら、モニターを見ながら、選手の顔色、どんな絵が映るか、会場の空席をチェックする。空いている席があったら営業を呼んで『客を回せ』と指示を出していた。猪木さんはマンネリを嫌う。我々は常に戦いなんだ」
 
猪木本人も「徹子の部屋」(EX系)出演時に「スポーツという呼び方が好きじゃない」「全部に神経がいってる」「魅せる要素と戦う要素の難しさがある」と話し、プロレスに求めていたものは、ピリピリと緊張感のある真剣な勝負で、エンターテインメントであることがうかがえる。