Jun 10, 2022 column

“アニメーション・ドキュメンタリー”だからこそ実現された『FLEE フリー』の凄味

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米国アカデミー賞において、国際長編映画賞・長編ドキュメンタリー賞・長編アニメーションの3部門に同時ノミネートされるという史上初の快挙を達成した作品がある。デンマークに暮らすアフガニスタン移民、アミン・ナワビの半生を描いたアニメーション・ドキュメンタリー映画『FLEE フリー』だ。本作は2021年のサンダンス映画祭でワールド・プレミアを迎えるや、ワールド・シネマ・ドキュメンタリー部門の最高賞(グランプリ)を獲得。アヌシー国際アニメーション映画祭では最高賞(クリスタル賞)など3部門に輝くなど、世界中の映画祭を席巻する高評価を受け、多くの批評家から“年間ベスト級”との絶賛を浴びた。

しかし、日本の観客にはあまり馴染みがないであろう「アニメーション・ドキュメンタリー」というジャンルとはなにか? なぜ、この映画はアニメーションで作られなければならなかったのか? 本作が生まれるまでの経緯を紐解きながら、その魅力に迫ってみたい。

アイデンティティを奪われて

「姉が誘拐され、父母と兄が殺されました。もし国を出ていなければ、きっと僕も殺されていたと思います」。アフガニスタン出身のアミン・ナワビ(仮名)はこう語る。父親が政府当局に連行され、家族とも離れて単身デンマークに渡ったアミンは、今では研究者としてのキャリアを積み、パートナーであるキャスパーとの結婚を考えている身だ。しかし、アミンにはキャスパーにも話すことができない、自分の過去に関する〈秘密〉があった。

アミンの話を聞くことになったのは、高校時代の同級生である映画監督のヨナス・ポヘール・ラスムセン。身体を横たえながら、アミンはゆっくりと〈秘密〉を語ることにする。時計の針は巻き戻され、1984年のアフガニスタン・カブールへ。アミンの物語は、幼い彼が抱えていた違和感と、彼ら一家をとりまく危機的状況から始まる‥‥。

『FLEE フリー』というタイトルは、危険や災害、脅威から「逃げる」という意味。アフガニスタンからデンマークへ逃れ、故郷を探し求めるアミンには、いったいどんな過去があったのか。アミンの半生を描いていく物語は、彼の〈秘密〉にラスムセン監督とともに接近していく一種のミステリーとなっている。したがって、アミンがどんな“逃亡劇”を繰り広げたのか、その人生にどんな〈秘密〉が隠されているのかに触れるのは野暮というものだ。

しかしながら、アミンの人生が彼の経験した歴史的・社会的状況に大きな影響を受けている以上、少しだけその背景に言及しておく必要はあるだろう。1978年に成立したアフガニスタンの共産政権は、反対派や“危険分子”とみなした人々を弾圧。政府と反政府ゲリラ(イスラムの戦士:ムジャヒディン)の内戦は、政府を支援するソビエト連邦と、反政府を支援するアメリカの介入もあり激化した。劇中には、アミンの兄が戦争に行くことに抵抗し、兵役を逃れるエピソードも登場。こうした経緯の末に、アミンら一家は祖国からの亡命を計画することになる。

もうひとつのポイントは、アミンが同性愛者であることだ。まだ小さい頃から姉の服を着ていたアミンは、5~6歳で男性に性的関心を持ち、自室にはチャック・ノリスやジャン=クロード・ヴァン・ダムのポスターを貼っていた。しかしアミン自身が語るように、アフガニスタンに「同性愛者はいない」、それどころか「その言葉も存在しない」。少なくとも、“そういうことになっている”。同性愛者であることは家族の恥であり、少なくともアミンが愛する家族たちはそうした価値観の中で生きている――そのためにアミンは、誰にも真実を告げずに成長することを余儀なくされてきたのだ。

こうした紆余曲折を経てデンマークにやってきたアミンには、いわばアイデンティティの拠り所がない。住む場所としての故郷を失い、家族とも離れ、小さい頃からセクシュアリティを抑圧され、おまけに自分の過去を語ることができなかったアミンには、自分というものを証明する何かがあまりにも少ないのだ。そこで、アミンは自分の“故郷”を求めることになる。

本作で描かれるアミンの物語、ひいてはアミンの生まれ育った環境から、戦争・紛争や難民・移民の問題、また性別や民族・人種に基づく差別といった、2022年現在まで綿々と続く社会的イシューを切り離すことはできない。アミンの個人的なストーリーには、この世界そのものが確かに表れている。しかし、だからこそ彼の物語は実写映像ではなくアニメーションで語られなければならなかったのだ。

「アニメーション・ドキュメンタリー」の作法

映画の冒頭で説明されるように、『FLEE フリー』の物語は事実と100%一致しているわけではない。アミンや彼の家族、パートナーのキャスパーら、実在する人々を守るため、劇中に登場する名前と場所は一部変更されているのだ。これは極めてデリケートな題材を扱う以上、当人たちの安全を守らなければいけないため。劇中のアミンの声は本人のものだが、彼が実写映像で素顔をさらすわけにはいかないのである。

「アニメーション・ドキュメンタリー」とは、その名の通り、すべてが人の手によって描かれるアニメーションでありながら、まごうかたなき事実を扱うという、一見すると矛盾をはらんでいるようにも思われるジャンルだ。「ドキュメンタリー」とは実際の出来事にカメラを向け、事実を客観的に記録するものだと考えている人も少なくないだろう。