30周年記念を迎えた釜山、受け継がれるものと変わっていくもの
先日行われたヴェネチア国際映画祭では、世界的に注目されているイスラエル・ガザ戦争での”ジェノサイド(大量虐殺)”について、映画祭を通して色々な映画人たちの政治的な発信が相次いだことが話題になっていた。実は釜山国際映画祭も、過去には多くの時事的な話題に巻き込まれていることが多く、今年初めてコンペティション部門を開設することに関しても国内外からは大きな話題を呼んでいた。2011年に釜山に建設された”映画の殿堂”と言われる文化施設のメイン会場は約4000人を収容できる圧巻の会場となっており、上映作品数も増え続けている中、今年は世界64ケ国から出品された328作品(関連上映含めて)が上映され、うちワールド・プレミア作品が90作品に及ぶという、堂々たるアジア最大の映画祭に成長している。

今年30周年記念を迎える釜山国際映画祭の歴史を振り返ると、彼らは実に様々な波を乗り越えてきている。最も強烈な事件として本映画祭の歴史に刻まれているのは、やはり2014年だろう。その年の春、多くの修学旅行生らを乗せた旅客船・セウォル号が沈没、当時発表された死者数は295人、行方不明者9人という記録的大惨事が起きた。沈没の原因や死者数の多さは人災からくるものではないかと世論からの追及が加熱していた中、この事件を取り扱った『ダイビング・ベル セウォル号の真実』というドキュメンタリー映画が同年10月の釜山国際映画祭で上映された。当時の釜山市長がこの映画の映画祭での上映について「政治的な中立性を欠く」という理由から映画祭側に正式に上映中止を求めたが、映画祭は断固として文化の自由を求め上映を決行、当時の釜山映画祭は熾烈なマスコミや一部の市民からの吊し上げにあっていた。そして、真理と信じて上映を決行した本映画祭の組織委員長が後に更迭されるという”報復”と言われる人事が施行され、この一連の動きに対して長く賛否両論が巻き起こった。その後、当時エグゼクティブ・プログラマーを長年務めてきた釜山出身の”映画祭の顔”と言えるキム・ジソクが、2017年のカンヌ国際映画祭の期間中に心臓発作で急死するという、韓国映画業界にとって衝撃的な出来事もあった。キム・ジソクは、2014年以降の政治的な映画祭利用を強く懸念しており、彼の死去は映画祭での心労からきたものではないかとも言われた。その後、釜山(映画祭)には彼の功績を讃え「キム・ジソク賞」という特別賞も設けられている。そういう歴史をトラウマ的に体験している映画人たちにとっては、今年はなんとも感慨深い30周年記念であった。

映画祭は、どの国においても”治外法権”的なポジションで言論の自由を守り、作り手のメッセージが国境を超えて発信できる、本来は規制のないイベントである。釜山国際映画祭は、韓国エンタメの世界進出のスピードと同様に規模が急速に大きくなっており、観客と作り手と世界のマーケットの間でバランスを取る難しさを常に体現している映画祭の顕著な一つの例かもしれない。
最後に、今年の映画祭の終盤には、”女性目線からの映画”というテーマも浮き上がってきた年であった。今年の最優秀作品賞は、長年韓国で映画製作を続ける韓国系中国人のチャン・リュル監督の最新作『Gloaming in Luomu(原題)』が受賞。過去に別れを告げずに去っていった恋人から受け取るポストカードを手にLuomuという街を旅するロードムービー。恋人を想う女性の機微がユーモア溢れて描かれている作品として映画祭期間中も評価の高い作品だった。
そして監督賞には、台湾の巨匠・侯孝賢監督のDNAを受け継いだ女優・スーチーの監督デビュー作『Girl(原題)』が見事に受賞。また映画祭の後半には、フランス映画『ポンヌフの恋人』(1991、レオス・カラックス監督)と彼女自身の初監督作品『In-I In Motion』をいう新作を紹介するために、ジュリエット・ビノシュが登壇、”映画と愛”について自身の過去と現在の経験を交えながら語り、映画祭を大いに盛り上げた。
文・写真 / 高松美由紀
今年秋に開催されるアジア最大の映画祭で、今年は30周年記念を迎えた。付帯イベントなどでの上映作を含めると全体で328作品が上映され、2024年から17作品増え、また今年初めてコンペティションを設置し、規模拡大を続けている。本年度のオープニング作にはパク・チャヌク監督の新作映画『NO OTHER CHOICE(英題)』が選ばれ、同作主演のイ・ビョンホンが開会式の司会も務めた。
開催:韓国、釜山
映画祭:2025/09/17 ~ 2025/09/26
公式サイト https://www.biff.kr/kor