Nov 19, 2022 interview

石川慶監督が語る 『ある男』で伝えたかった「自分はこういう人」という枷を脱いでみること

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愛したはずの夫はまったくの別人でした―― 離婚して故郷に帰った里枝は、やがて大祐と出会い再婚。ところがある日、大祐は不慮の事故で亡くなる。長年疎遠だった大祐の兄が、その法要に訪れたことから、夫・大祐が全くの別人であることが判明する。「大祐」として生きた「ある男」は、いったい誰だったのか。里枝は弁護士の城戸に亡くなった夫の身元調査を依頼。「ある男」の正体に近づくにつれて、城戸の心にもいつしか複雑な思いが生まれていく。

芥川賞作家・平野啓一郎の小説『ある男』がついに映画化。監督は『愚行録』『蜜蜂と遠雷』などで国内外で高い評価を得る石川慶。弁護士・城戸に妻夫木聡、彼に調査を依頼する里枝を安藤サクラ、彼女の亡き夫「大祐」を窪田正孝が演じる。

予告編制作会社バカ・ザ・バッカ代表の池ノ辺直子が映画大好きな業界の人たちと語り合う『映画は愛よ!』、今回は『ある男』の石川慶監督に、本作品、映画への思いなどを伺いました

石川慶監督が語る 『ある男』で伝えたかった「自分はこういう人」という枷を脱いでみること

海外に出ることで見えてくるものもある

池ノ辺 今回の映画『ある男』は、ヴェネチアや釜山の国際映画祭でも絶賛されていたようですね。現地ではいかがでしたか。

石川 反応はよかったです。ヴェネチアには『愚行録』(2017)で一度行っているんですが、しばらく間が開いていましたから。海外に出るというのは、国内だけでやっている時には見えないことが見えてきて、自分としては、少しずつズレていったのを補正するような感覚があるんです。今回の映画祭はいい機会だったと思います。

池ノ辺 監督は映画の勉強をポーランドでされたんですよね。なぜポーランドに?

石川 僕が大学を出る頃は就職氷河期で、特に地方の大学生にとっては、そこから映画業界に入り込むというのはなかなかに難しい時期だったんです。

池ノ辺 地方というのはどこですか?

石川 東北大学に行っていたので仙台です。東京の会社もいろいろ回ったのですが、東京まで行くお金がなかなか捻出できなかったり、いろんな問題がありました。そんな時に、アメリカの大学に留学している先輩の話を聞いて、そういう道もあるかと思ったんです。

ただ、アメリカの大学は学費などがかかりすぎて現実的ではないと考えているなかで、ポーランドとかチェコにも映画学校があることを知ったんですね。そっちまでいくとずいぶん選択肢が広がるなと思って、とにかくポーランドに行ってみることにしたんです。

石川慶監督が語る 『ある男』で伝えたかった「自分はこういう人」という枷を脱いでみること

池ノ辺 ポーランドの映画大学ってなかなか入れないと聞きましたよ。

石川 その時は全然そんなことも知らずに行って、行ってから、こんなに受験生がいるんだとびっくりしました。1週間ぐらい試験期間があって、それがワークショップみたいな感じだったんです。ダメもとで受けたら、なぜか合格して、結局そこから5年間通いました。

池ノ辺 大学では最初から映画の勉強をするんですか?

石川 大学では監督科というところに入ったんですけど、1年の時には普通に哲学のような教養課程の講義もあって、そこから、だんだん専門に分かれていくんです。最後の1年は文化庁の在外研修員というかたちで在籍していました。

池ノ辺 日本の大学にいる頃から映画監督になりたいと思っていたんでしょうか。

石川 大学に入る時にはそこまで強く思っていたわけではないんです。それが、大学に入ってから友人と一緒に自主制作で1本撮ったんですが、映画ってちょっと麻薬的な魅力があるというか(笑)。観ているだけのときにはそれほど強く思っていなかったんですけど、1回撮っちゃうと、その面白さから抜けられなくなって、そこからずるずると、という感じですね。

池ノ辺 そこから映画の世界に行こうと思ったんですね。

石川 そうですね。とにかく1回ちゃんとチャレンジしようという思いが芽生えたのが大学時代でした。

池ノ辺 この映画を拝見して、監督の編集の仕方とか色彩やアングルに、日本なんだけどちょっと違うものを感じて、これはどこからくるのかなと思っていたんです。それでプロフィールを見るとポーランドで勉強されたとあったので、じゃあそこからくるのかなと‥‥。

石川 実はポーランドにいた時には何を撮っても日本的だと言われていたんです(笑)。それで日本に戻ってくると逆に、何を撮ってもヨーロッパ的だと言われるんです。なのでその辺りは、自分ではあまりジャッジしないようにしています(笑)。

石川慶監督が語る 『ある男』で伝えたかった「自分はこういう人」という枷を脱いでみること