Mar 15, 2024 column

『デューン 砂の惑星PART2』 ドゥ・オア・ダイ、不穏な救世主のつくり方

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女性たちの映画

『デューン 砂の惑星PART2』におけるポールのファーストカットは、前作のファーストカットと興味深い呼応関係にある。前作のポールはうつぶせに寝ながら夢を見ていた。夢の深淵からまだ出会っていないチャニの姿を幻視していた。それに対し、本作のポールは砂漠の斜面に身を預け、砂の表面に片耳をかぶせている。敵の攻撃から身を守るために潜伏している状態だが、まるで砂漠の内部の音、地底の音に耳を澄ませているようにも見える(砂漠の斜面の景観が素晴らしい!)。ポールは砂漠の内部にうごめく音の中から、レディ・ジェシカの胎内にいる妹の姿を幻視する。このとき惑星アラキスの砂漠の内部は胎内のメタファーとなる。ポールは妊婦のお腹に耳を当て、まだ見ぬ胎児の音=声を聞いているのだ。

前作で生態学者リエト・カインズ博士(シャロン・ダンカン=ブルースター)が原作の男性キャラクターから女性に改変されたことが、本作でより強い意味合いを持ってくる。ドゥニ・ヴィルヌーヴはチャニやレディ・ジェシカ、そしてベネ・ゲセリットの物語をメインに主題を拡大させていく。元々ベネ・ゲセリットの女性たちを前面に描いていく構想だったというが、ドゥニ・ヴィルヌーヴの視点が女性、特にポールのロマンスの相手であり、フレメンの戦士チャニの視点へと移り変わっていったのは興味深い。

救世主の存在に懐疑的なチャニ。フレメンは「よそ者」の救世主ではなく、自らの行動によって解放されるべきだとチャニは考えている。彼女は本作における唯一の政治的な良心といえる。チャニはフレメンについてよく知ろうと努力するポールのひたむきさを愛している。チャニがポールに向ける視線、リアクションが細かく捉えられていく。不穏な運命を受け入れていくポールの変化。ドゥニ・ヴィルヌーヴは、チャニがポールをどのように見つめているかを描くことに大きな比重を置いている。2人の砂漠のロマンスには、ティモシー・シャラメとテイラー・ラッセルが演じた『ボーンズ アンド オール』(2022)の恋人たちのような儚い雰囲気がある。後戻りできない2人の痛切さ。夢で見た女性がチャニだったことをポールは決して言おうとしない。チャニもそのことを知らない。

チャニは本作の最大の守護天使であり、ポールの導き手でもある。前作がレディ・ジェシカに導かれたポールの物語だったように、本作も女性たちに導かれる1人の青年の物語と読むことができる。その意味でポール・アトレイデスという役はティモシー・シャラメ以外には考えられない。男性的な強さが前面に出るような俳優では、このキャラクターは台無しになってしまう。ポールは女性たちに手を引っぱられながら成長していくようなキャラクターだ。ティモシー・シャラメという俳優のアンドロジナス性、軽やかなカリスマ性、現代性がなければ、このテーマは成立できない。

フレメンの要請によりほとんど強制的にベネ・ゲセリットの教母となるレディ・ジェシカ。教母になるということは、ベネ・ゲセリットの歴史におけるすべての苦しみと悲しみを一身に引き受けることだ。男性は決してその痛みに耐えられないとレディ・ジェシカはポールに告げる。水のない惑星アラキスでは涙さえ流すことが許されない。しかしどんどん邪悪なカリスマ性を帯びていくように見えるレディ・ジェシカもまた、相反する感情に心を引き裂かれている。レディ・ジェシカは母親としてポールを守りたいという気持ちと、ベネ・ゲセリットの策略に忠実に、ポールをこの惑星の救世主に仕立て上げることの間で揺れている。同時にレディ・ジェシカは自分たちの立場を守るためにフレメンの信仰心を煽り、それを利用する。フレメンを率いるスティルガーもレディ・ジェシカを利用しているように見える。この映画にはあらゆるレベルの政治的な謀略が張りめぐらされているが、その中心にベネ・ゲセリットの魔女たちがいる。ベネ・ゲセリットという女性たちの組織は、皇帝やハルコンネン家よりも宇宙を動かす力を持っているように見える。