Mar 15, 2024 column

『デューン 砂の惑星PART2』 ドゥ・オア・ダイ、不穏な救世主のつくり方

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金字塔シリーズの誕生。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による『デューン 砂の惑星PART2』は、2作目にしてこのシリーズが21世紀の金字塔的な傑作シリーズになったことを決定づける。とんでもなくド迫力で体験型のスペクタクル映画である。ドゥ・オア・ダイ!(当たって砕けろ ! )である。オーディエンスは砂漠の地底が揺れる音の響きに震え、砂嵐に圧倒され、砂粒が肌に張りつく感触さえ覚えるだろう。

ドゥニ・ヴィルヌーヴは青年ポール・アトレイデスの成長譚というだけでなく、明らかに女性を描くことに、このシリーズの重きを置いている。初登場組を含めた豪華キャスト陣の不穏なまでに輝くカリスマ性に早くも続編を期待せずにいられない。既に計画中というシリーズ第3弾が公開されるまで、このマスターピースを繰り返し体験していきたい。

不穏なカリスマ

夢の深淵から浮かび上がる不吉な未来。未来の聖戦(ジハード)を回避するにはどうすればよいのか?ポール・アトレイデス(ティモシー・シャラメ)の心は、常に2つの思いの間で引き裂かれている。アンチ・ヒーローというよりも消極的なヒーローという方がふさわしい、心優しき青年ポール。“大人の男性”のモデルとなるべきだった父親のレト公爵は既にこの世にいない。父親を殺害したハルコンネン家に復讐することが本当に正しいことなのか、ポールの葛藤が治まる日はない。

「子どものよう」と嘲笑され、まだティーンのようなあどけなさが眩しかった前作のポールは、母親のレディ・ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)に手を引っ張られるように、アトレイデス家の後継者へと成長を遂げていった。恐怖に打ち勝つという試練を経たポールは、前作より少しだけ風格のようなものを纏い始めている。しかしポールの中には依然として、自分が砂漠の惑星アラキスの“救世主”などではないという自覚がある。それに加え、自分がアラキスの救世主として振る舞う未来が、戦争を招く独裁政治の世界になることを心から危惧している。自分がこの世界の“モンスター”になってしまうことを恐れているのだ。

惑星アラキスの先住民であり、植民地的な支配に抵抗する反乱軍のフレメン。皇帝とハルコンネン家の策略によって壊滅に追いやられたアトレイデス家。レディ・ジェシカとポールはフレメンに合流する。前作の決闘の末、初めて“殺し”を覚えたポール。ポールは恐怖に打ち勝つことに成功した。しかし振り返れば、あのとき“殺し”を覚えてしまったことが、ポールにかけられることになる呪いの本当の始まりだったのかもしれない。ポールは勝利のあらゆる代償を引き受けることになってしまう。もう後戻りをすることは許されない。ポールはこの世界を取り巻く不穏な力学の餌食となっていく。

チャニ(ゼンデンヤ)と同世代のフレメンの若者たちの間では、ポールを救世主として認めない者がいる。フレメンの若者たちは、迷信深いリーダーのスティルガー(ハビエル・バルデム)の世代と違い、「よそ者」の救世主の存在自体に懐疑的なところがある。ポールの内なる心がアンビバレンスなように、フレメンの世代間にも分断や迷いが認められる。『デューン 砂の惑星PART2』のキャラクターたちは、“救世主のつくり方”とでもいうべき、目に見えない不穏な力の動きの間で目まぐるしく揺れ動いている。

レディ・ジェシカの所属する女性だけの秘密結社ベネ・ゲセリットは、ポールがこの世界の救世主になっていく筋書きを用意する。ベネ・ゲセリットは魔女の修道会のような組織であり、いわば政治的に力を持つ宗教団体だ。前作には予知夢により自分の未来を知っているポールが、母親を糾弾するシーンがあった。救世主という名のモンスターになることを運命づけられたティーンの叫び。その叫びは胸に迫るほど悲痛だった。「ベネ・ゲセリットが僕を怪物にした!」。

自分の意思ではどうにもならないものに巻き込まれる青年の悲劇。本作には政治権力と宗教が結びつくことの危険性が描かれているだけでなく、“白人の救世主”という幻想に批評的・批判的なメスが入れられている。そこには原作者のフランク・ハーバートが政治家のスピーチライターの仕事をしていたことも結びつくだろう。世界を救うカリスマをつくりあげるという“操作”への不信感。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、原作との対話によりフランク・ハーバートのスピリットを抽出する。