否定の最大の理由は、まったく異なる結末
そしてキングが否定した最大の理由はラストの改変だ。原作ではジャックは最後には理性を取り戻して父親として家族を守ろうとするのに対し、映画版のジャックは“向こう側”に行ったまま悪霊の一人となることを選んだのだから。キング自身、『キャリー』で小説家デビューする以前は教師をしながら小説家を目指し、出版社に原稿を送っては没にされる日々が続いたため酒に溺れたこともあった。したがって自分自身を投影していたジャックのキャラの扱いに不満だったのだろう。
後に映像化権を取り戻したキングは(キューブリックが権利を手放す条件は「キングが映画に対する非難をやめること」だったという。しかしキューブリックの死後はまたしても映画への批判を口にするようになったが…)、1997年に自らの製作総指揮、脚本によるTVミニシリーズを発表、こちらでは原作小説に忠実なストーリーが展開する。
映画は長く愛される作品に
しかし、キング自身が気に入らなかったとはいえ、キューブリックの映画は、当時まだ珍しかったステディカムによる廊下をなめるように進む映像、血が噴き出すエレベーター、廊下に立つ双子の少女、バスルームの老婆、生垣でできた雪の迷路(原作では生垣で作られた動物たちが動いてダニーに襲いかかることになっていた)といった強烈なイメージにあふれ、長く映画ファンに愛される作品としての地位を確立した。本作にオマージュを捧げた作品も多く、スティーヴン・スピルバーグ監督の『レディ・プレイヤー1』(18年)に引用されたほか、映画『シャイニング』に隠されたいくつもの謎を読み解こうとする『ROOM237』(12年)という珍品まで作られている。
余談ながら、完全主義者にして凝り性のキューブリックは、この映画の撮影中にもさまざまな逸話を残している。割れたドアの裂け目から顔を出すジャック・ニコルソンの表情を撮るため、わずか2秒間のために2週間を費やし190テイク以上も撮ったり、130テイク以上も撮影したラストシーンをすっぱりとカットしてしまったりと、その専制君主ぶりはすさまじかったようだ。