“前へ前へとひたすら向かって行く”物語
エルンスト・ルビッチの『生活の設計』(1933)、ジャック・タチの『プレイタイム』(1967)、フランソワ・トリュフォーの『恋のエチュード』(1971)、相米慎二の『ションベン・ライダー』(1983)といった作品群と並んで、坂元裕二は自分に影響を与えた作品のひとつに、『ヒズ・ガール・フライデー』(1939)を挙げている。ケイリー・グラントとロザリンド・ラッセルの丁々発止のやりとりが楽しい、ハワード・ホークス監督によるスクリューボール・コメディの傑作。彼はその魅力についてこう答えている。
「映画って何?」と聞かれたら、僕は『ヒズ・ガール・フライデー』って答えるかな。人物の葛藤を描いたりせずに前へ前へとひたすら向かって行くんです。何が起ころうとも時は進んでいくっていうのが映画ですよね」(書籍「脚本家 坂元裕二」(ギャンビット)より)
確かにこの映画は、ブルドーザーで林をなぎ倒して行くかのごとく、どんどん前進していく。登場人物はマシンガンのように早口でまくしたて、鑑賞者に一刻の猶予を与えない。『クレイジークルーズ』もまた、“前へ前へとひたすら向かって行く”物語だ。豪華客船MSCべリッシマは、横浜を出航したらあとはエーゲ海に一直線。時間が不可逆であるように、決して後戻りすることはない。
冲方と千弦の間に芽生えた恋も、ノー・リターン。印象的なのは、「浮気しかけたは、浮気したと同じです。私にとっても、恋をしかけたは、恋をしたと同じだからです」という冲方のセリフ。千弦は新しい恋の予感を感じながらも、恋人の元に“戻ろう”とする(彼女は恋人の浮気を阻止するため、日本に戻ることを画策している)。一方の冲方は、MSCべリッシマと同じように後戻りすることはできないことを悟り、前に“進む”ことを選択する。『クレイジークルーズ』は、恋の不可逆性を描いた作品なのだ。
もちろん『ヒズ・ガール・フライデー』のように、人物の葛藤を省略するようなことはしない。むしろ丁寧に彼らの内面にフォーカスしていく作業こそ、坂元裕二流脚本術ともいえる。「いい人だって、頑張っているんです!」と、お互いを励まし合う冲方と千弦。内面を吐露することで、2人の距離は急激に縮まっていく。バトラーの冲方は乗客の千弦に敬語で話すことを崩さないが、それ自体が2人の距離感を測る物差しになっているのだ。坂元裕二はインタビューで、「敬語の何が面白いって、距離感を伸ばしたり縮めたりできることですね」と答えている。その距離を突破して、2人の恋は成就するのか。この絶妙な設定が、何とも言えずTHE ロマコメなのである。
最高の食事、最高のサービス、最高の空間を提供する、豪華客船MSCべリッシマ。ここには旅情があり、笑いを誘う喜劇があり、好奇心を刺激するミステリーがあり、胸がときめく恋がある。ザッツ・エンターテインメント! 威風堂々と大海原を進むMSCべリッシマは、まるでNetflixという巨大プラットフォームを暗喩しているかのようだ。坂元裕二がNetflix第1弾として書き下ろしたシナリオが、ただただひたすら楽しいミステリー&ロマンティック・コメディであることに、バトラーの冲方にも引けを取らないホスピタリティーを感じてしまう。それが脚本家・坂元裕二の、プロフェッショナルとしての矜持なのだろう。
文 / 竹島ルイ
豪華クルーズ船でバトラーとして働く冲方優は、乗客の理不尽なクレームに土下座も厭わず対応するその「プライドのなさ」を、新人船長・矢淵初美から評価されている。横浜からの出航直前、切羽詰まった様子でクルーズ船に乗り込んできた盤若千弦。盤若は冲方に、お互いの恋人が密会していることを告げる。42日間に及ぶエーゲ海ツアーに出航したクルーズ船・MSCべリッシマのデッキで、冲方と盤石は自分たちの不幸な境遇を嘆き合う。そんな矢先、2人はクルーズ船のプールで殺人事件を目撃する。交際中の相手から「なかったこと」にされてしまった冲方と盤若の2人は、目の前で起こった事件を「なかったこと」にさせないため、独自に捜査を始める‥‥。
監督:瀧悠輔
脚本:坂元裕二
出演:吉沢亮、宮﨑あおい、吉田羊、菊地凛子、永山絢斗、泉澤祐希、蒔田彩珠、岡山天音、松井愛莉、近藤芳正、宮崎吐夢、岡部たかし、潤浩 、菜葉菜、大貝瑠美華、眞島秀和、林田岬優、光石研、長谷川初範、高岡早紀、安田顕
企画・製作:Netflix
Netflixにて世界独占配信中
公式サイト netflix.com/クレイジークルーズ