キャラの強さ、恋模様の[反転力]
『クレイジークルーズ』は、冲方のこんなナレーションで幕を開ける。
「その名は、セイレーン。古代ギリシャ神話に登場する、海の怪物である。海を旅する船のもとに、どこからか美しい歌声が聞こえてくる。船乗りたちはその歌声に魅了され、迷い込み、やがて船の底に沈んで行く。セイレーンに出会った者は皆、死の運命にあって、つまり愛とは死に近付く行為である」
ミステリー&ロマンティック・コメディのこの映画は、冒頭から「愛と死に関するテキストである」ことを宣言する。だがそのタッチは、これまでの坂元裕二作品の中でも屈指の軽やかさ。宮﨑あおいは登場した瞬間から作品に華やかさを振りまき(黄色のワンピースに身を包んだ姿の、なんという凛とした可愛らしさ!)、冲方を演じる吉沢亮は、『キングダム』や『東京リベンジャーズ』シリーズとは打って変わって、鈍臭いお人好しキャラ。絶妙のコメディ感を醸し出している。
脇を占めるキャラクターも、コメディ演技には定評のある俳優たちが集結。ルー大柴みたいなイングリッシュをやたら使う船長の吉田羊、高飛車な悪妻ぶりを発揮する高岡早紀、厚顔無恥で横柄な菊地凛子。千鳥のノブ風に言えば“クセが強い!”面々だ。ちょっと度が過ぎたオーバーアクトと不思議なチャーミングさで、鑑賞者に強烈な印象を残す。そして、怪優・安田顕。ひっきりなしにリップスティックで唇を塗りたくる姿は、インパクトあり過ぎ。何よりもまず『クレイジークルーズ』は、キャラの強さでぐんぐんと物語を牽引していく。
坂元裕二といえばもうひとつ、ネガがポジに、黒が白にスイッチする[反転力]。例えば「わたしたちの教科書」は、菅野美穂演じる弁護士が女子生徒の転落事故を究明しようとするミステリー・ドラマだった。学校で働く教師、生徒たちは決して画一的なキャラクターとしては描かれず、回を追うごとに白から黒へ、そして黒から白へと反転を繰り返す。そのキャラクターの多義性が、ミステリーとしての強烈な吸引力になっていた。『怪物』では、チャプターごとに登場人物の視点が変わり、同じ状況が異なる角度から繰り返され、世界の認識が反転する。坂元裕二は登場人物や世界を裏返すことで、ドラマに強烈な推進力を与えてきたのだ。
しかし『クレイジークルーズ』では、キャラクターを反転させるのではなく、カップルのペアリングを入れ替えることで恋模様を反転させていく。冲方とその恋人(林田岬優)、千弦とその恋人(眞島秀和)、保里川と井吹、龍輝と汐里。「東京ラブストーリー」や「最高の離婚」でも使われていた、“パートナー組み替え”という、ラブストーリーにおける王道のスパイス。その塩梅が、坂元の匠の技なのだ。