Apr 27, 2019 column

MCUの魅力を総括!そして集大成『アベンジャーズ/エンドゲーム』が伝えたかったこととは――

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待ちに待った、という言葉がこれほど似合う作品は他にないだろう。『アベンジャーズ/エンドゲーム』がついにベールをぬいだ。昨年公開された『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』がシリーズ初の“悪(ヴィラン)が勝利し多くのヒーローたちが打ちのめされる”という内容だっただけに、ヒーロー全員集合の爽快なお祭り映画を期待していた観客(筆者も含む)が受けた衝撃はすさまじく、その気持ちをついにはらす時が来た。結論から言うと『エンドゲーム』はカタルシスいっぱい、かつとてもエモーショナルなスーパーエンタテインメントに仕上がっている。1年の辛抱は報われたと言っていい。
このコラムではネタバレなしに『アベンジャーズ/エンドゲーム』の魅力をお伝えするとともに、『アベンジャーズ』がなぜこれほどの人気を得たのかを考えてみたい。

誰一人欠けてはならないヒーローたち、MCUに息づくスタン・リーの哲学

まず始めに『エンドゲーム』前までのストーリーを振り返ると、 「この世界に同時多発的に様々なヒーローたちが現れ、地球ではこうしたヒーローたちが集まり“アベンジャーズ”という最強のチームが生まれる。一方、宇宙にはガーディアンズ・オブ・ギャラクシーというノリのいいヒーロー・グループが誕生。他にも様々なヒーローが登場するが、そこに恐るべき敵が現れる。宇宙魔人サノス。サノスはこの宇宙が存続するためには全宇宙の生命を半分にした方がいい、と考えており、宇宙に6つある究極のパワーストーン“インフィニティ・ストーン”を集め、その力を使ってこの計画を実施しようとする。サノスがすべてのストーンをはめた特殊な手袋で指をパチンとならすだけで半分の生命が一瞬にして消える。ヒーローたちは結集しサノスを止めようとするが失敗。こうして全宇宙の生命は半分となり、ヒーロー仲間の多くも消えてしまう」――。

『エンドゲーム』はまさにここから始まり、ヒーローたちが世界を、仲間を取り戻すために立ち上がる。もともとアベンジャーズの“アベンジ”とは“復讐”という意味で、まさにヒーローたちのサノスへのアベンジが始まる。ところで復讐を意味する英語には“リベンジ”というのがあるが、アベンジとリベンジの違いは何かと言うと、リベンジは個人的な復讐。アベンジは大義のための報復みたいな意味があるそうで。だからアベンジャーズはサノスに、仲間や愛する人を奪われた恨みから復讐(リベンジ)するのではなく、サノスによって歪められた世界の秩序を取り戻すため、逆襲(アベンジ)にうって出るのだ。

MCUの魅力は様々なヒーローたちがいること。ハイテク装備の武器で戦うアイアンマンもいれば、弓ひとつで相手を倒すホークアイもいる。全身武器に改造された銀河の女性暗殺者ネビュラもいれば、元ロシアの女スパイ、ブラック・ウィドウもいる。1940年代の陸軍兵士がヒーローとなったキャプテン・アメリカもいれば、1980年代の女性空軍パイロットだったキャプテン・マーベルがいる。はるかかなたの宇宙の神々の国で活躍するマイティ・ソーもいれば、日常の先にあるミクロの世界で冒険するアントマンがいる。お互いスーパー頭脳の持ち主でありながらアライグマのような外見のロケットと緑色の巨人ハルクに変身してしまうブルース。能力や考え方、価値観もすべて異なる彼らが力を合わせる。彼らの活躍する世界は、宇宙、地球、異次元、ミクロ世界、魔界、大都市、リビングルームと幅広い。誰が主役・脇役ということはない、誰一人欠けてはならないのだ。そしてすべての舞台が繋がりリンクしていて様々な可能性を秘めた大ユニバースであるとうたっている。

これがMCUの素晴らしさ。「この世界は君たちが考えているより広いんだ。どんな人間でも活躍できるぐらい可能性に満ちていて、広いんだ。だからこそ、相手を認めよう。リスペクトしよう。だからこそ一方的な価値観だけで相手を支配しようなんて思っちゃいけないんだ」――。MCUのベースとなっているマーベル・コミックの世界を作り上げた、故スタン・リー氏はコミックを通じてこういうことを伝えたかったそうだ。その哲学がMCUには息づいている。様々なヒーローたちがいるのは、今でいうダイバーシティ(多様性)の比喩。MCUを好きになると、必ず自分の推しヒーローが見つかるのは、そのヒーローにどこか共感してしまう、自分とこいつは似ているな、と思えるからだろう。

そう、MCUとは、ヒーロー物のフォーマットを借りた“人はどう生きるか”を描いた人間ドラマなのだ。今年、『ブラックパンサー』がアカデミー作品賞にノミネートされたことも象徴的である。ブラックパンサー自体、コミックでも初の黒人が主役をはったヒーローということで画期的だったが、アフリカの弱小国と思われたワカンダが、実は世界を変えるほどの文明と力を持っていた、という捻ったプロットで、MCUが今までの作品の中に盛り込んできた、“人はどう生きるか”“人と世界はどう関わっていくべきか”というテーマをさらに特化させた作品であり、MCUがアクション・エンタテインメントでありながらも、優れたディスカッション・ドラマ(問題提起型のドラマ)にもなり得ることを証明してみせた。