『浅草キッド』は、芸人・ビートたけしの誕生秘話を描いた青春映画だ。監督・脚本は、ビートたけしを愛してやまない劇団ひとり。初監督作品『青天の霹靂』(14年)に続いて2度目のタッグとなる大泉洋、そして柳楽優弥を主演に迎えて、昭和40年代の浅草を舞台に、天才ビートたけしの原点であり、師匠・深見千三郎と過ごした日々を描いていく。なぜ、いまこの映画をNetflixで全世界へ配信するのか?この映画の魅力に迫るとともに探っていきたい。
いつか売れると信じる下積み時代
この映画の配信を心待ちにしていた人は一体どれくらいいるのだろう?いまだ”たけし世代”といわれるフォロワーは、非常に多い。特に第二次ベビーブーマーは、青春時代真っ只中で、みんなビートたけしこと「殿」に夢中だった。だから芸人、一般を問わず、ファンの思い入れがめっぽう強い。7年間脚本を書き溜めていた、劇団ひとり監督もそのひとり。プレッシャーも相当あったことだろうが、それゆえに、この映画にはビートたけし愛、芸人愛がふんだんに盛り込まれている。
それは時代考証であったり、キャスティングであったり、知っていればいるほどニヤニヤするし、面白さが広がる。漫才の衣装、楽屋の張り紙、劇場の看板や、どこかで見たことある画面構成、映像のはさみ方、そして青い光など、お笑い好きや映画好きが、思わず顔がほころぶ仕掛けやこだわりがたくさん詰まっている。そして、やがてやってくる悲しい別れが迫ってくるたびに胸が苦しくなる。おそらく、原作を読んで心に刺さったであろうあのセリフも、柳楽優弥演じるタケシが、放ってくれる。オールナイトニッポンを聴いていたビートたけし原理主義者も、色眼鏡をかけずに観てほしい。たぶん、何度観ても泣いちゃうから。
ファンならご存知、ビートたけし作詞・作曲の『浅草キッド』(86年)で歌われている”仲見世の煮込みしかないくじら屋”と噂された、浅草の居酒屋「捕鯨船」も実店舗が登場する。この店に来るたび「若い芸人たちに食わしてやって」と、たけしが大金を置いていくという逸話はあまりにも有名だ。それを大将が、“たけし預かり金”と書かれた封筒に入れ、飲み代に使った芸人たちの名前がメモされている。同店の大将・河野通夫さんもまた元浅草芸人だ。本作とおなじく芸人をテーマとした青春映画『火花』(17年)も、ピース・又吉直樹原作、130R・板尾創路監督でともに芸人。この映画でも主題歌として『浅草キッド』が起用され、主演の菅田将暉と桐谷健太がカバーしている。
近年、ビートたけし本人がテレビで歌い上げたことがあった。それは、2019年大晦日、令和最初の「第70回NHK紅白歌合戦」のこと。このとき、総合司会のウッチャンナンチャン・内村光良は、自分のデビュー当時を思い出し「やばいです。この歌は‥‥」と涙声になり、審査員だったサンドウィッチマン・伊達みきおは曲を聞きながら涙をぬぐっていた。この曲は、芸人の心を打つこれ以上ない名曲なんだろう。制作意図なのか分からないが、本編映像に”苦労した”下積み時代という描写は強調されていない。昭和の論理でいくと、もっとズタボロ感があったと思うし、これでは昭和おじさんたちが「そうじゃないんだよ」と言いかねない。しかし、誰もが知る下積み時代の悲哀を凝縮させたこの曲が流れると、ぐっと心を掴まれる。タケシとキヨシが地方のスナックでドサ回りをしている冒頭シーンに挿入歌として流れるのだが、正直ここですべてが伝わるくらい、ビートたけしが歌う『浅草キッド』は破壊力がある。
今作品の主題歌を歌う桑田佳祐も、クランクイン前に劇団ひとりからオファーを受けた段階では「主題歌はたけしが歌う『浅草キッド』だから、提供できる主題歌はない」として断ったほどだ。それにしても、ビートたけしが天才と呼び、関係性のある桑田佳祐の曲を主題歌にしたいという監督のこだわりは深いし、心憎い。