世界中の名立たる映画人やアーティストから愛される幻の映画『WANDA/ワンダ』。1970年ヴェネツィア国際映画祭最優秀外国映画賞を受賞、1971年カンヌ国際映画祭で上映された唯一のアメリカ映画でありながら、本国ではほぼ黙殺された本作。50年を経てその全貌が明らかとなる日本公開を記念して、幻のオリジナル予告映像の復刻版が公開された。
ペンシルベニア州。ある炭鉱の妻が、夫に離別され、子供も職も失い、有り金もすられる。少ないチャンスをすべて使い果たしたワンダは、薄暗いバーで知り合った傲慢な男といつの間にか犯罪の共犯者として逃避行をつづける‥‥。アメリカの底辺社会の片隅に取り残された崖っぷちを彷徨う女性の姿を切実に描き、70年代アメリカ・インディペンデント映画の道筋を開いたロードムービー。
フランスの偉大な小説家・監督のマルグリット・デュラスはこの映画を「奇跡」と称賛し、本作を公開するためなら何を差し出してもいいと褒めたたえた。その後も、バーバラ・ローデンが監督した唯一の本作は同世代の女優や映画監督たちに多大な影響を与え続けながらも、長い間、観ることの出来ない伝説的作品として認知されてきた。
監督・脚本・主演のバーバラ・ローデンは生まれ故郷ノースカロライナ州での虐待を受けた子供時代から逃れ、16歳でニューヨークに移り住んだ。ダンサーやピンナップモデルを経て女優になった彼女は社会派の巨匠エリア・カザン監督の映画『草原の輝き』(61)に出演。1964年、カザンの演出でアーサー・ミラーの戯曲「アフター・ザ・フォール」でトニー賞の主演女優賞を受賞。カザンはローデンの演技を「彼女のやっていることには、常に即興の要素、驚きがあった。私の知る限り、そんな役者は若い頃のマーロン・ブランドだけだった」と賞賛。
その後ローデンは、カザンと2度目となる結婚をする。長年、女性らしさに縛られ、女性らしさを売り物にしてきたローデンは、30歳を過ぎた頃、自分のアイデンティティや目標を見出せない従順な女性像に疑問を持つ。本作『WANDA/ワンダ』の製作は、すなわち彼女の独立宣言だった。「エリア・カザンの妻」と呼ばれることから、他人に書かれた役を演じることから、彼女自身が辛うじて逃れてきた生き方を実証している本作。そして1980年、乳がんにより48歳の短い生涯を終える。
デュラス、スコセッシ、ユペールは元より、カンヌ映画祭常連のダルデンヌ監督兄弟、親交の深かったジョン・レノン、オノ・ヨーコ、カルト映画の巨匠ジョン・ウォーターズ、現代アメリカ映画の最重要作家ケリー・ライカート、ガーリーカルチャーの旗手ソフィア・コッポラなど、世界の名だたる映画作家やアーティストが口々に尊敬の念を込めて「失われた傑作」と評価し、ローデンを不世出の作家として敬意を表する。
「私は洗練された映画が大嫌いなの」と言い放つローデンの荒削りな美学で骨の髄まで削ぎ落とされた本作には、その後の数多くのインディペンデント映画で用いられるスタイルが見て取れる。常に動いているカメラワーク、無名のロケーション、奇抜さや奇妙なキャラクターを求める姿勢など、このスタイルを駆使した最初の女性監督による映画。”インディペンデント映画の父”と称されるジョン・カサヴェテスは「『WANDA/ワンダ』は私のお気に入りの作品だ。ローデンは正真正銘の映画作家だ」と高く評価。