岡崎京子の著作の中でも、特に象徴的存在として扱われることの多い『リバーズ・エッジ』が二階堂ふみ主演、行定勲監督というタッグで映画化される。1990年代の乾いた空気感と、澱んだ川沿いに住むダルい若者たちの傷だらけの青春をたっぷりの余白と共に描いた今作は、当時若者であった人々の胸にたしかな重りとなって残っている。それぞれの胸にある『リバーズ・エッジ』は、24年の時を経てどのような形で伝播していくのか――。90年代の日本社会と時代背景、カルチャーを振り返りながら、『リバーズ・エッジ』を紐解いていく。
『リバーズ・エッジ』は特別な作品で、不可侵的で、象徴的な存在である
岡崎京子作のコミックス『リバーズ・エッジ』の初版が出版されたのは1994年6月のこと。ファッション誌・月刊『CUTiE』で93年3月号から94年4月号にかけて連載されていた作品をまとめたものである。身元不明の腐乱死体、スマートドラッグ、心の伴わないセックス、理不尽ないじめ、意味のない売春、高校生の妊娠――と、扱われている題材を並べてみるとなんともセンセーショナルではあるが、あの体温の低そうな三白眼の目立つ顔をした、岡崎京子の生み出すキャラクターの身に起こると、当時ティーンだった筆者の目にはなんだか妙に格好良く感じられたものだった。今作は最初から最後まで、主人公・ハルナたちの住む街のすぐ近くに流れている“広くゆっくりよどみ、臭い”河のようにどんより膜の張ったような世界の向こう側で起きていて、まるで他人事のようだ。とても自分たちと地続きの世界で起きているとは思えなかった、だから楽しめた。キャラクターたちがどんなに酷い目に遭っても、涙と鼻水まみれで泣き喚いても、それを我が事のように感じることができない。どんな悲劇に見舞われたとしても、空っぽの目をしてタバコをふかしているのが、岡崎京子作品に出てくる一番かっこいい女の子だった。
そんな作品が24年の時を経て映画化され、2018年2月16日(金)に公開される。今作でメガホンをとった行定監督自身も、映画化に関して当初は迷いがあったそうだ。主演を務めた二階堂ふみから『リバーズ・エッジ』の映画化の話を持ちかけられ、「ずっと漫画の映画化に抵抗してきた。しかし、岡崎京子さんの名作はあまりにも魅力的で、ついに手を染めてしまった」と語っている。それほどまでに『リバーズ・エッジ』は特別な作品であり、不可侵的であり、象徴的な存在なのだ。それは2015年に開催された岡崎京子個展のキービジュアルがコミックス『リバーズ・エッジ』のカバー絵になっていたことからも明らかだ。
サリン事件、大震災によるモラトリアムな空気の崩壊。戦場のガールズ・ライフを生き抜いた女子高生たち
そもそも、なぜ『リバーズ・エッジ』が特別なのか、それは単にインパクトのある事件や出来事が次々と起こるから、ではないだろう。それなら『私は貴兄のオモチャなの』(95)や『チワワちゃん』(96)の方が目を覆いたくなるような暴力&セックス描写が多いし、近親相姦や親殺しを描いた『エンド・オブ・ザ・ワールド』(94)の方がよっぽど語りがいがあるだろう。それでもこの作品が人々の関心を惹きつけてやまないのは、当時の時代性に合っていたからではないだろうか。『リバーズ・エッジ』出版の翌年に起きた地下鉄サリン事件や、大きな被害に見舞われた阪神・淡路大震災によって、それまでの日本に漂っていたどこかモラトリアムな空気が崩壊し、人々は想像の中で描いた空虚なストーリーに没頭するよりも、現実に起こるノンフィクションの事件や天災に、好むと好まざるとも向き合わなくいけなくなった。
あらゆる自殺についての解説を事細かに解説し社会問題になったベストセラー『完全自殺マニュアル』(鶴見済 著/太田出版)が発行されたのが93 年。その1年後に出版されたのが『リバーズ・エッジ』、安室奈美恵のアルバム『SWEET 19 BLUES』のリリースと、ヒリヒリした女子高生の“リアル”を切り取り鮮烈なデビューを飾った小説家・桜井亜美の『イノセント ワールド』(幻冬舎文庫)の発売が96年、援助交際やHIVを扱ったTVドラマ「神様、もう少しだけ」のO.Aが98年と考えると、90年代初頭に描かれた退廃的な死の空気は90年代半ば以降から一変し、バーバリーのマフラーにE.G.スミスのルーズソックス、アルバローザのショッパーを斜めがけし、たくましく戦場のガールズ・ライフを生き抜いた女子高生が時代を席巻したのもなんだか頷ける。