世界三大国際映画祭といえば、カンヌ、ヴェネチア、そしてベルリン。お祭り気分を最高潮に高めてくれる風光明媚な場所でもなくベルリンという都市の中心で開催し、また1年で最も寒いと言われる2月、ほぼ連日が鉛色の空の元で開催されるベルリン国際映画祭。そんなハンデを物ともせず、どの映画祭よりも社会派の映画を多く取り扱い、同時に新人監督のピックアップなども精力的に継続されており、毎年熱のこもった映画の祭典として安定した存在感を出し続けている。しかし、今年は招待映画の注目度以上に、本年度の審査員長であるヴィム・ヴェンダース監督の一言が、全世界的に最も注目を浴びていた。また、日本として注目するべきポイントは、日本のアニメーションとしては初の長編監督デビュー作がベルリン国際映画祭コンペティション部門に選出された『花緑青が明ける日に』(四宮義俊 監督) への世界からの期待度の高さだろう。この2つの出来事だけでも、昨今の映画業界の流れが顕著に見えた第76回ベルリン国際映画祭であった。
スイスを拠点にエンターテインメントの魅力を発信している高松美由紀が、世界の様々な映画事情などを綴る『映画紀行』。今回は、三大国際映画祭の一つ、第76回ベルリン国際映画祭の魅力をご紹介。

ヴィム・ヴェンダース監督の発言が世界の映画人を揺らす
映画祭の開幕初日に行われた審査員メンバーの開幕記者会見では、今年の審査委員長であるヴィム・ヴェンダース監督の発言が世界的に大きな物議を醸した。イスラエルを擁護する映画祭 (に関連するドイツ政府) の立場に対して、映画祭も審査員達も明確に反論していないというジャーナリストの質問に答える際に、ヴェンダース監督は「We have to stay out of politics. 」(我々 (映画人) は、政治に口を挟むべきではない)」と発言した。この発言は初日の映画祭全体を大きく揺るがし、一部の海外メディア報道やSNSの発言では「とても残念な発言だ」「ヴェンダースは、自己の発言に対して責任逃れをしている」などのコメントが散見した。
現在、国連や国際法の専門家はパレスチナ自治区のガザ地区でジェノサイド (集団殺害)が起きていると指摘しており、ヨーロッパでは毎日のようにどこかでデモが起きている。また、ロシアとウクライナの領土争いに関しても長期化している中で、移民問題などに疲弊している欧州諸国が多く、一般人が政治疲れを感じている風潮が強まっている。そんな中、審査員会見でのジャーナリストは「‥‥政治的な質問があります。ベルリン国際映画祭は、ウクライナをはじめ世界中の多くの人たちにsolidarity (連帯感) を表明しているが、パレスチナの問題に関しては一切のコメントを出していないようです。それは (映画祭の運営に関わる ) ドイツ政府がジェノサイド (集団殺害) を容認していることに関連していると思うが、審査員の皆さんはこの状況 (this selected treatment of human right) に賛同しているのですか?」という質問を投げている。そして、ヴェンダースは上記のコメントの後に「We have to do the work of people, not a work of the politicians. (我々は政治家のために働くのではなく、人々のために働くべきだ) と述べている。
このヴェンダースの発言は、ベルリン国際映画祭という“華やかな映画祭”以上に “社会ニュース”として、連日地元のテレビ報道などで取り上げられた。元々、映画祭が開催されている地区は、第二次世界大戦前に芸術の都として栄えたベルリンの西側の拠点であり、映画祭の設立当初から何らかの政治的意図があったと言われている。現在も映画祭の立地上の中心はポツダム広場であり、映画祭に併設するマーケット会場のすぐ横には、“テロのトポグラフィー”という、かつてはゲシュタポ本部であり今もナチズムの恐怖を伝える博物館や、2700基以上の石碑が並ぶヨーロッパのユダヤ人のための記念碑、“ベルリンの壁”の残骸が至る所に残っていたりと、昔の人々の憎しみや悲惨な歴史を忘れないために現存される地域で、この映画祭は開催されているのだ。

こういった一連の騒動に対するコメントを、筆者の周りにいるドイツ人の映画人たち数人に聞いたが、意外にも冷静に分析している人が多かった。「ドイツ人にはナチスの歴史が深く刻み込んでいて、その歴史は一生消えない。そのために、ドイツ人は重い十字架を背負い続けており、ヴェンダースもそのDNAは受け継いでいるはずだ。その上での発言だと考えると、映画祭を世界の政治と混在させたくない気持ちはわかる」「ベルリン国際映画祭は、近年ドイツ政府の意向を強く受けているので、ドイツ政府になびいている、と言われることを、ジャーナリストが指摘しているのでは」「ヴェンダースは世離れした映画人でしかない(こんな政治的な質問は愚問である)」など、さまざまな意見が出た。
今回の騒動で、欧州の政治的な疲弊がエンタテイメントにも大きく影響していることや、ベルリン国際映画祭でこのような政治と映画の距離に関しての議題が取り上げられることは、この映画祭が常に背負い続ける歴史と共に歩んできた当然の流れであり、唯一無二の立場にある映画祭であることを再認できた年でもあった。
