まだまだ女性監督が少なかった1971年から活動し、300本を超える映画を世に送り出してきた浜野佐知監督。彼女がいつか映画化したいと強く願っていたのが、大逆罪で死刑判決を受け、23歳で獄中で自死を選んだ【金子文子】という人物についてでした。
その想いが結実し、映画となった『金子文子 何が私をこうさせたか』の主演を務めるのは、『百合子、ダスヴィダーニヤ』(2011) 、『雪子さんの足音』(2019) で組んだ俳優の菜葉菜さん。死刑判決を受けてからの121日間を綴る魂を燃やし続けた【金子文子】の物語から、菜葉菜さんは一体何を得たのか。じっくりと内面に触れていきます。

――【金子文子】が本作では、韓国映画『金子文子と朴烈』(2019) で描かれていたキャラクターと違っていました。今回の金子文子は、菜葉菜さんご自身に近い部分もあり、さらに浜野佐知監督との共通点があると仰っていますが、まずは浜野監督らしいと思った点はどこですか。
浜野監督ご自身も女性監督として、随分と苦労をされたそうです。浜野監督から聞いたのですが、当時、監督になるための映画会社の就職条件が「大卒の男性」だった。女性になれない職業があることを初めて思い知らされたそうです。それでピンク映画の業界に入って監督になり、20数年で200本も撮ったのに、ある女性映画祭で日本の女性監督としてカウントされていない現実に出くわしたのだそうです。ピンク映画の監督なので、そこに居るのに居ないものとされ、凄く悔しかったと仰っていました。それで一般映画を撮り始めたそうです。【金子文子】も戸籍がなく、自分は生きているのに社会はそれを認めてくれない、否定されている、存在をなかったものにされているということが凄く共通していると思ったそうです。

――そんな浜野監督の想いで描かれる【金子文子】のどの部分を自分と似ていると思ったんですか。
たぶんそこまで酷い経験はないけれども、根底にある“なにくそ精神”、そこで浜野監督ご自身も辞めずに今までずっと監督を続けてきています。私も役者をしている中で“なにくそ”という部分が原動力になっていて、今も役者を続けています。そこまで酷い経験はないけれども、自分なりの“なにくそ”という怒りからの原点、根底が凄く似ていると思っています。たぶん浜野監督もそういうところを感じてくれたから「菜葉菜さんに演じて欲しい」と言ってくれたのではないか思っています。
だから[怒りから発生する原動力]にもなっている自分の中のものが、【金子文子】と似ていました。私も「男性プロデューサーに気に入られないといけないのか」とか、「女性だから可愛らしくしていないといけないのか」とか、女優なんだからとそれを求められることが結構今までにもありました。私は「女優よりも俳優である」と言いたいのですが、女性らしさを求める男性の中で、“女性とか男性とか関係ないでしょ。平等でしょ”という部分と、男性社会の映画業界で生きて来たというのは浜野監督とも共通する怒りとなにくそという部分も同じで、【金子文子】にも繋がっている部分だったので、凄く共感しました。だからこそ、あの怒りの表現が沸き上がって来たのではないかと自分の中では感じています。私だからこそ演じることができたと思いたいし、言いたいというのはあります。
――映画を改めて観て「女性が女性を応援する」、その大切さもしっかりと描いている映画だと思いました。映画の中で【金子文子】に話しかける女の子の囚人がいますよね。あのエピソードだけで【金子文子】の想いが繋がっていると感じ、浜野監督でないと描かれないパートなのではと思いました。
本当にそうなんです!もちろん脚本家の山﨑 (邦紀) さんが描かれたシーンなのですが、命よりも大切な万年筆をあの女の子に渡すシーンは、自分の魂をも託すというか、その想いも託して、だからこそ自分で選択して自死できたのではないかと思っています。決して“自分は負けた”とか、“終わった”と思って死んでいったのではなく、私はちゃんと残したし、これを次の世代、あなたに託していくという決意だと思っています。この映画もそうやって、バトンを私たちに投げてくれているような感じがして、想いを渡してくれているような気がしています。だからこそ、今の時代だからこそやる意味があったし、やれて良かったと凄く感じました。





