もう20年も前になるが、ある番組に携わっていた時、雑談の中で僕が汚い言葉を発した際に、ナレーターの声優さんに注意をされたことがある。 「言霊(ことだま)というものがあるんだから、言葉に携わる仕事の人間がそういう言葉は使わない方がいいよ」 雑談の中での何気ないやりとりだったが、この作品を見ていてそのことを思い出した。8月も終わりに差し掛かったところで公開された長編劇場アニメ『きみの声をとどけたい』だ。
湘南・鎌倉、高2の夏、たまたまあることをきっかけにミニFM局をやることになる女子高生たち。進路に悩むなぎさ。部活で背負うプレッシャーに悩むかえで。舞台となるミニFM局はなぎさが偶然に出会う紫音の母がかつて放送をしていたものだが、その紫音の母は事故によって10年以上も目覚めていない。彼女たちが放送をしていく中で新たな友人や人々と出会い、悩みや夢に向かう姿を描いている青春ものだ。
正直なところ、予告編を見た時に感じた印象は、派手さが感じられない…というより、地味そうな作品だなということだった。実際、派手な作品ではない。しかし見終えたときに多くの人が感じるのは、とにかく“まっすぐな作品”だということだろう。 キャラクター達の描き方、彼女たちの想い、派手ではないが的確なストーリーの見せ方。全てがまっすぐで、スクリーンと観客の心を見事に繋いでくれる。ちょっとした何気ない言葉のやりとりや出来事が心にじわじわと沁みてきて、静かな感動が最初から最後まで持続する。ここまで見た後に清々しいという印象がハッキリ残る作品も久々だった。
この作品では「言霊」がキーワードとなっている。
冒頭に書いた話になるが、テレビ番組の制作においてナレーションはもっとも“言葉”に接する作業のひとつになる。それは視聴者という見えぬ誰かに伝えるためのものだ。だからナレーションの台本を書くときの言葉の使い方には自ずと慎重になるし、もちろんそれを読むナレーターさんにとっても同じだ。僕に注意をしたナレーターさんの「言霊というものがあるんだから」という一言は、まだ駆け出しだった僕にそれを大きく認識させてくれる一言だった。 主人公のなぎさは言霊を信じ、それゆえに言葉を大事にしようとし続ける。言葉を大切にすることが人と人を結ぶことを彼女は直感的にわかっている。彼女を中心に描かれるこの映画は、その時のことを思い出させてくれた。
以前に何かで読んだ記事によると、現代は有史以来、人類が最も文字を書いている時代なのだそうだ。もちろん、そうなったのはSNSの登場と普及によるところだ。日々流れてきては目にする多くの言葉。もちろん中には良い気持ちになったり励まされたり楽しんだりするものも多い。 一方で、他者への罵倒や中傷をはじめとした不快な気分になる言葉も多く目にするようになってしまった。“言葉”を発すること、他者に伝えることの意味を深く考え発信している人は、もしかしたらおそらく数えるほどなのかもしれない。いや、それがわかった上でそういった不快な言葉を発しているのかもしれない。言葉は何かを生み出すが、残念ながらそれが良いことばかりだとは限らない。
別段そういう硬いテーマを出している作品ではない。しかしこの映画の主人公の、ただ悪い言葉は使いたくないという姿勢にある“言葉”の力を信じ“言葉”を選ぶ想いからは、そういう風潮に静かに刃向かう意思を感じ、ホッとさせられるものがあった。