ありとあらゆる犯罪ジャンルからいいところどり
そして、時制をバラバラにして章立てで話を進める、大胆で、先の読めないストーリー構成。犯罪小説からの影響が大きいという(彼は熱心な小説読みでもある)が、ジム・トンプソンの小説をスタンリー・キューブリックが映画化した『現金に体を張れ』を意識していたことは自白済み。だがそれだけではない。彼は頭の中に蓄積させてきた、あらゆる国のあらゆる犯罪ジャンルからいいところを引っぱり出し、アレンジして使った。
たとえば、Mr.ブルー役で本作に出演しているエドワード・バンカー(ホンモノの犯罪者あがり)の自伝的小説をウール・グロスバードが監督した『ストレート・タイム』、ジム・トンプソン原作、サム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』、リチャード・スターク原作、ジョン・ブアマン監督の『殺しの分け前/ポイント・ブランク』、マーティン・スコセッシの『ミーン・ストリート』など’70年代のクライムもの。フランスのノワール映画では、ボガードやキャグニーからブラックスーツと細いネクタイ、トレンチコートをいただいたジャン=ピエール・メルヴィルの『いぬ』、ヌーヴェル・バーグではトリュフォーの『ピアニストを撃て!』やゴダールの『はなればなれに』。日本映画では、深作欣二の『仁義なき戦い』シリーズ、石井輝男の『網走番外地』シリーズ、北野武の『ソナチネ』などといったヤクザ映画。香港ならジョン・ウーの『男たちの挽歌』やリンゴ・ラムの『友は風の彼方に』etc, etc……。
タランティーノがこの映画のプロモーションで初来日したとき、「なんと気鋭の新人監督はヤクザ映画のファンだった!」ということで(加えてあのハイテンションなマシンガントークと愛嬌で“仁義”を語り)カルト人気に火がついたのだが、彼はヤクザ映画だけに影響を受けたわけではなかったのだ。とくに香港の『友は風の彼方に』は、後半に3人が銃を向け合う“メキシカン・スタンド・オフ”など構成がそっくりだと話題になり(タランティーノはむしろ『続・夕陽のガンマン』などマカロニ・ウエスタンに影響されたものだと言い張ったが)、「映画を盗む男」としても有名になった。しかし、彼の特性は“DJ的なミキシング・センス”にあることを忘れてはならない。数多の映画からクールなマテリアルやエッセンスを掬いだしてかけ合わせ、最高のオリジナリティに昇華させる希有な才能を、誰が責められるだろう?
また、この映画を語る上で避けて通れないのが“バイオレンス問題”。一部のポスターには「心臓の弱い方はご遠慮ください」と書いてあったが、それはやりすぎ。問題視されているのはMr.ブロンドが警官の耳をそぎ落とすシーンなのだが、この映画で耳切りシーンそのものは見られない。カメラはその直前、壁から天井の方へと飛ぶ。このシーンがものすごいインパクトを与えるのは、バイオレンスよりむしろその前のダンスのせいだ。Mr.ブロンドがラジオをつけて、曲に合わせて踊る姿はかなりユーモラス。思わず笑っていると、次の瞬間、ショックが襲う。
「俺はたくさんの映画を観てきてわかったんだけど、たいていの映画は始まって10分もするとどう進んでどういう結末を迎えるのかわかっちゃうんだ。でも俺は観客に驚いてもらいたいし、普通ならとうてい面白がれないようなところで笑わせたい。コメディ的な展開に大笑いしていると、突然ボン! って変調してひょえーってなるとかね。Mr.ブロンドの耳切りもそうだよ。あのダンスはほんとうにユーモラスだ。なのに次の瞬間、観客は凍りつく。それまでダンスを楽しんじゃってた観客は、後悔したってもう遅いよ、同罪なんだからさ(笑)。こういうふうにイマジネーションを膨らますことができて、大きなインパクトを残せるのがバイオレンスなんだ。この映画は“バイオレンス映画”ってよく言われるけど、ユーモア満載のコメディ要素を無視してもらっちゃ困るね!」
自分の映画を観た観客にはキャラクターの人間味とユーモアを楽しみ、先の読めない展開にワクワクハラハラして、かっこいい映像と音楽に「クール!」と痺れてほしい。それこそが彼の願い。映画を愛するタランティーノは、サービス精神の塊なのだ。
1992年公開、タランティーノの監督デビュー作品。カンヌ国際映画祭で公式出品作品に選ばれ、カルト的な人気を博した。