オモチャと遊園地を与えられた子供のような監督
それぞれのストーリーはもっと枝葉がいっぱいで、しかも互いに複雑な絡み合い方をしている。時制がバラバラだから途中で死んだ人間が後から出てきたりするのだが、不思議と混乱はしない。なぜか。それは、いま進行しているストーリーと登場人物に夢中になって、混乱しているヒマなんてないからだ! そうさせるのは、キャラクターの魅力、彼らが発する会話の面白さ。そこには前作以上に、こってりとポップカルチャーの味付けがなされている。
「俺はこの脚本を、プロモーションツアーでヨーロッパに行ったとき書き始めた。だからヴィンセントが『アムステルダムのマクドナルドでチーズバーガーがなんて呼ばれるか知ってるか?』って言うのは、タイムリーに俺が驚いたことだからさ。ロイヤル・ウィズ・チーズとかめちゃ笑えるだろ(笑)。今回もキャラクターたちに勝手にしゃべり出してもらったわけだけど、もっとそこらへんに転がってるような、俺が聞いた話が入り込んでる。そういうのを盛り込むのが得意なのは、俺自身が演技のトレーニングを受けた経験が役立ってるんだろうな。その役になりきりながら書くからね(笑)。だからある意味、こいつらはみんな俺の分身なんだよ」
もちろん、キャスティングが完璧だということも大きな要素。そしてタランティーノが俳優でもある(本作にもジミーという愛すべき脇キャラで出演)ということが、俳優たちへの演出にも大きな力を発揮している。
その件については、実際にこの目で見た。1993年、タランティーノに招かれて、撮影中だった『パルプ・フィクション』の現場で1週間以上を過ごしたときだ。見せてもらった撮影現場のひとつは、ヴィンセントとミアがツイストダンスを踊るあの’50年代タイムスリップ・レストラン、アメージング&エキサイティングな〈ジャック・ラビット・スリムズ〉だった。
あのセットのもたらすワクワク感ときたら。ポップを店にしたらこうなった、というような、夢の空間。ここでのタランティーノは、最高のオモチャと遊園地を与えられた子供のようだ。カットがかかる度に、心底楽しそうに「ハハハハハ!」という笑い声を響かせ、役者のそばに近く寄って演出をする。ダンスシーンではカメラの後ろで(ときにはステディカムを回しつつ)、タランティーノ自身もお尻をふりふりダンシング。クルーもキャストも、異口同音にこう語る。「クエンティンは、誰より仕事を愛している。100%愛していて、その情熱がみんなに伝染していくんだ。ほかの監督と違うのは、彼が俳優たちの演技を否定するようなことが一度もないことだよ。『いまのは最高によかった。でも今度はこういうアプローチで言ってみてくれないかな? 最高よりさらによくなるかもしれないから、試したいんだ』という具合さ」