第77回カンヌ国際映画祭ある視点部門にてオープニング上映されたのち、世界中の映画祭を席巻した、映画『突然、君がいなくなって』。この度、本作の監督を務めたたアイスランドの俊英ルーナ・ルーナソン監督の日本のファンに向けたメッセージ映像と、インタビューが公開された。
1977年生まれ、アイスランド・レイキャビク出身のルーナ・ルーナソン監督は、2011年、カンヌ国際映画祭監督週間に長編デビュー作『Volcano』が招待された後、多くの映画祭で上映され17の賞を受賞。2作目の長編 『Sparrows』は、サン・セバスチャン国際映画祭での最優秀映画賞含む20の映画賞を受賞し、その後発表された作品も、世界各国の映画祭にて高い評価を得ている。
そんなルーナソン監督が本作『突然、君がいなくなって』で描き出すのは、誰もが経験しうる身近な人の不在、そして集団のなかでの個と個の儚くも美しいつながり。この度、本作へ込められた想いや制作の背景、主演のエリーン・ハットルを抜擢した理由などが明かされた。
――本作のテーマについて考えるようになったのはいつ頃からですか? 個人的な体験がきっかけだったのでしょうか?
私の映画はどれも個人的な作品です。私が書くものは、すべて自分自身の直接的または間接的な経験をもとにしています。それらを混ぜ合わせて、男性が女性になったり、女性が別の何かになったり‥‥ そんなふうに形を変えていくんです。つまり、境界があいまいなものなんです。とはいえ、こうしたアイデアについては20年以上前から考えてきました。
――個人的な悲しみを抱える友人たちが登場しますが、作中で起こる事故は国家的な出来事でもあり、国民全体もまた、この出来事を悲観していますよね。この“二重性”について興味を持った理由は?
私たちは“聖書的な物語”つまり明確なメッセージが一つしかない物語に慣れすぎているのかもしれません。でも現実の出来事は、白か黒かではなく、その中間の“グレー”なものがほとんどです。映画が描いている世界もそのグレーの領域。最初は白や黒に見えるものにも、別の側面があるんです。
一見ひどいことの中にも、深く見つめることで美しさが見えることもある。でも、同時にこの映画はとてもシンプルな作品でもあります。物語はたった1日のできごと。私たちはウナと彼女を取り巻く人々が、その1日に起きる出来事と、それに対して生まれる内面の葛藤にどう向き合うかを追っています。


――物語が2つの日没の間に起きると決めていたのは初めからですか?
はい。多くのシーンをワンカットで撮っていて、ウナの1日、彼女が経験した時間の流れを、観客に感じてほしかったんです。こういう日は通常、前兆や余波に囲まれているものです。人生で最も幸せな日にも、最もつらい日にもなりうるし、逆の感情が湧くこともある。私は現実的な感覚を捉えたかったんです。
――ウナは主人公ですが、彼女はこの親しい友人グループに突然加わりますよね。そのグループのダイナミクスを描いた理由は?
ウナが抱えている「秘密」が鍵になります。このグループの全員が、その出来事に何らかの関わりを持っていて、それぞれにとって非常に個人的な意味を持っています。でも、他の人たちはウナの立場や視点を正確には知らない。そのことが大事だったんです。
人間関係はしばしば単純化されて、対立構造になりがちですが、私たちは皆、同じような感情を抱えて生きている人間なんです。
――ウナを演じたエリーン・ハットルさんが素晴らしいですね。どうやって彼女を見つけたのですか?
エリーンのことは15歳の頃から知っていました。アイスランドの舞台で注目されていて、彼女自身の作曲でユーロビジョンのアイスランド代表になりかけたこともありました。「Let Me Fall」(2018)ではバルドヴィン・Z監督にキャストされていました。今回のオーディションに来たときは、ちょうど演劇学校を卒業したばかりでした。俳優に求めているのは、「語る」よりも「見せる」ことができる力。それは口で言うよりもずっと難しいことなんです。

――撮影前の準備はどう行ったのですか?
できる限りの準備をして、現場でその状況を最大限に活かしたり、即興でアイデアを生み出せるようにします。ロケ地選びには特に力を入れていて、時には撮影監督のソフィア・オルソンと一緒に、俳優がいない状態でシーンを演じてみたりもします。そうすることで空間や可能性を感じ取れるんです。私たちは、時間、光、フレーミングといった映画の“ツール”を使って、物語に厚みを加えようとしています。
――映像表現がとても印象的です。スケールの大きなビジュアルと、親密な人物描写が共存していますね。
脚本を書くとき、予算的な制約も念頭に置いています。ただ今回はその限界を押し広げたつもりです。この作品は個人と小さな集団が“世界”に向き合う話ですが、その“世界”や“社会”の感触をちゃんと感じさせる必要がありました。そのスケール感が現実味と詩的な感覚の両方をもたらしてくれる。視覚的な表現は、登場人物たちの内面世界を映し出すためのものでもあるんです。映画の作り方はいろいろありますが、私は自分自身やスタッフと一緒に“ただの物語の記録”以上のものを目指して挑戦したいと思っています。

