意外なキャスティングだった水原希子
大根監督に見えてるものがあるんだと
小柳 やはり妻夫木さんが手を挙げたことが大きかったのですね。
大根 そうですね。(映画化には)3本の柱が建たないと難しいと思っていました。それは、「ボーイ」と「ガール」と「奥田民生の音楽」。昔、電気グルーヴのドキュメントを撮っていたこともあって(奥田民生の事務所である)ソニー(ミュージック・アーティスツ)との関係も良かったので、当時の社長だった中山さんのところに楽曲提供の許可を取りに行ったんです。
大根 でも中山さんは電気の初代マネージャーだった人ですから、こういった作品にはすごく理解がある人で。「奥田も積極的には参加できないけど、楽曲使用くらいは大丈夫だよ」と仰ってくださって。それで「ボーイ」はOK、「民生の音楽」もOK、あとは「ガール」が残った。これはもうはじめから希子ちゃんしか見えていなかったので、希子ちゃんのところにあたりに行ったという感じです。
小柳 チョックン(渋谷直角の愛称)は、あかり役に水原希子さんと聞いてどうでしたか?
渋谷 聞いたときは、少し意外な角度だな、と思いましたが、大根さんの中で確実に見えているものがあるな、コレは、とすぐに理解出来たので、水原さんがどう演じてくれるか楽しみだなと思いました。
本作は渋谷直角における
日本版『クーリンチェ』?
小柳 大根さんが明確なビジョンを持って映画化に挑んだことは、作品を拝見して感じました。脚本はどうでしたか。
大根 簡単ではなかったけど、ものすごく苦労したということではなく、むしろ原作と変えたい部分があったので、それをネームに起こして、渋谷君に描いてもらって、その原稿を取り立てる編集者としての役割の方がストレスだった(笑)。
渋谷 大根さん、スピードが早いんですよ。原稿書くのも。テレビのスピード感なんですよね。僕はいつも月刊誌のペースなので、「えっ、もう?!」みたいな感じでした。
大根 俺は毎回、原作者を巻き込んじゃうんですよ。特に今回は、原作の最後であかりの独白が始まるところは、スゴく漫画的展開じゃないですか。漫画では本当にあれが最適だったと思いますが、あのまま映画にしてしまうと展開がつながり難いので、結構変えさせていただく必要があったので。
小柳 今から四半世紀も前の映画ですが、エドワード・ヤン監督の『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』という作品があって、今年ちょうどリバイバルされましたよね。あかりって、自分の中では、あの映画に出てくる主人公の女の子にちょっと重なる部分があると思うんですよ、「自分は自分、誰も変えることはできない」というところが。最初に(漫画を)読んだ時はそこまで思ってなかったけど、今年そんなこともあって、また「クーリンチェ」を観直したせいもあると思うけど、「民生ボーイ」って、渋谷直角における「クーリンチェ」じゃないのかって(笑)。
大根 ああ、なるほどね。
渋谷 ハハハハ。(横から)それ、絶対(記事に)書いてください。「テキスト・小柳帝」として、責任もって書いてくださいね(笑)!
最初からあきらめた部分もある
だってそれが“作家性”でしょう?
小柳 でも、冗談抜きで、本当にあの映画と重なったんですよね。この漫画って笑いもあるけどシリアスな漫画だと僕は受け取っています。実は、映画もそうなっていると思いました。でもその一方で、<大根監督作品>の系譜としては、妄想癖のある男子が主人公という点で、映画『モテキ』と比較されてしまうこともあるかと思うのですが……。
大根 二番煎じにはならないように、とは意識しましたね。映画『モテキ』を乗り越えようと意識しつつも、同じ人間が作っているから、どうしても似ちゃうところは似てきちゃうと思うので、そこは最初からあきらめていた部分もありましたけどね。というか、だってそれが“作家性”でしょう。
小柳 確かに、(『モテキ』とは)また全然違っていましたよね。
大根 そうですね。主人公の成長物語とか、こちらは明確な「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語だし、振り回され具合が全然違うというか、より地獄というか(笑)。『モテキ』なんか、結局キスしかしてないですからね、高校生かっていう話ですよ。
小柳 コーロキは、こういう女性とも結局付き合える訳だから、なかなかな男性でもあるわけですよね。じゃなかったら妻夫木さんにならないか。
渋谷 その妻夫木さんのようなレベルでも歯が立たないスゴさ。これまでそこそこ恋愛のノウハウは培ってきたはずなのに、それがまったく通用しないみたいな最強さと、その滑稽さ。
大根 希子ちゃん自体は、別に、“狂わせガール”とは思わないですけどね。
小柳 実際は違うのかもしれませんが、一般人目線に立った時に、みんな勝手に希子さんにはそういう妄想を抱いているところがあるから、(キャスティングが)上手くハマッたなという風に思いました。