「不完全」に対して寛容なイタリアと不寛容な日本
──演出面で心掛けたことは?
役者にはセット撮影の前に、登場人物の内面や動き方を確認します。ただし、私のイメージと完璧に合わせる必要はなく、役者自身がその人物をつくれることが大事です。そして撮影に入った際には、その状況下である程度自由に動けて、コンビネーション含めてそのときしか撮ることのできない演技を引き出すようにしています。リハーサルなどもあまりせず、ドキュメンタリーのようにその瞬間を撮るようにしているので、実際撮ったものを組み合わせると、予想外のものが出来上がることもあります。
──映画をつくる上で一番大切にしていることはなんでしょう?
現在、私は映画学校で学生に映画を教えているのですが、学生が撮ってきた映画をどういった基準で判断するかというと、やはり作品の中に生命があるかどうかだと思っています。絵でも同じです。学生が描いた絵と画家が描いた絵の違いというのは生命が込められているかどうかだと思います。映画も同じくして、優れた映画はやはり生命を感じるものです。作品に命が吹き込まれているか、それが私にとって一番重要です。
──あるデータによるとイタリアは世界的にも浮気率が指折りに高いと記されているのですが、一方で離婚率は日本と比較しても低いです。また、本作を通して文化的にも「家族」の絆の強さや寛容さというものを感じました。監督自身、イタリアの家族特有に感じるものはありますか?
浮気、離婚、家族、とはイタリアの大きな3つの要素ですね。家族の絆というのは、政治や政府と違い現代でもかなり強く信じられているものです。そして、人によってもちろん違いますが、イタリアが浮気に対して寛容ということはずっと言われています。よくおじいちゃんには家族がいくつもあるとか聞いていましたし、大家族が亡くなったら違う家族が明らかになったりということもあります。イタリアはカトリックの国で不貞に厳しいようで、実際は正反対だったりします。一方で家族を壊すということはイタリアではありえないことで、それは社会的な意味というより個人の価値観としてありえないんです。イタリアの場合は長い間、共産党とキリスト教民主党の政争がありましたが、これもどこか自由を求める父親と家族を守る母親の違いに似ているとも言われてきました。争いが生まれる理由について、私は5本の映画を撮ってきましたが、まだその答えは見つかっていません。
──最後になりますが、日本の映画ファンにメッセージを。
日本には何度か訪れているので、表面的にはどのような国か理解しています。本作は「実際の自分」と「家族の期待」との間でどう均衡を保つのかという映画だと思うのですが、イタリアは非常に不完全なことが多く、そして不完全に対して寛容です。一方で日本は完璧主義なところがあって、不完全に対する罪悪感が日本人の方のほうがより強く感じてしまうのではないかと思うのです。なので、パレルモと東京の中間あたりにモラルを置くと自分にとっても、皆にとっても、良いバランスがとれる気がします。そういうメッセージを込めて作りました。
(インタビュー・文:オガサワラ ユウスケ)
映画『ワン・モア・ライフ!』
3月12日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
監督・脚本:ダニエーレ・ルケッティ(『ローマ法王になる日まで』)
出演:ピエルフランチェスコ・ディリベルト(ピフ)、トニー・エドゥアルト
2019年/イタリア/94分/シネスコ/5.1ch/言語:イタリア語/原題:Momenti di trascurabile felicità/
英題:Ordinary Happiness/日本語字幕:関口英子/後援:イタリア大使館、イタリア文化会館/
提供:ニューセレクト/配給:アルバトロス・フィルム/公式サイト:one-more-life.jp
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3月12日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開