Mar 11, 2021 interview

映画『ワン・モア・ライフ!』-ダニエーレ・ルケッティ監督が語る余命92分のダメ親父とイタリアの家族

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来る3月12日金曜日に全国公開される映画『ワン・モア・ライフ!』。主人公パオロの軽やかな浮気に、そして堂々たる利己的な振る舞いと目的のわからない嘘に、誰もがマスクに小さな笑みを隠して観ることだろう。二度目の死に向かって生き生きとしていくダメ親父のアイロニカルな物語。舞台はイタリアのリゾート地、パレルモ。地中海の日差しと歴史を刻む街並みが、物語の輪郭を一層やわらかくしてくれている。監督は『我らの生活』(2010)『ローマ方法になる日まで』(2017)など、一貫して「人間」と「家族」を描いてきたダニエーレ・ルケッティ。監督自身が愛読していたエピソード集のような原作を基に、余命を数値化するというシビアなファンタジーを作り上げた。

本インタビューではイタリアのコミュニティ文化を背景とした、監督の幼少期の経験、家族の価値観、そこからどのような想いをもって映画をつくり上げているか、赤裸々に話してくれている。文字通り世界を広げる意味でも、ぜひ読んでほしい。

ダニエーレ・ルケッティ監督
インタビューに応じてくれたダニエーレ・ルケッティ監督

マフィアが登場しないシチリアの物語

──本作を作る経緯をお聞きかせください。

原作は筋書きも、特定のキャラクターも、物語さえも存在しない2冊の本でした。日常の様々な場面が描かれているエピソード集のようなものだったのですが、それが非常に面白くてプロデューサーも珍しく乗り気でした。原作者のフランチェスコ・ピッコロとも話して、数あるエピソードの中から「悔い」や「悲しみ」のエピソードを集めて映画の形を考えました。手本としてクラシックなアメリカ映画や風変わりな映画をモデルに、シチリア人で中年の癖のあるキャラクターが思い悩んでいく、そういう様を描いていく映画になりました。

──主人公パオロ役のピエル・フランチェスコ・ディリベルト(愛称:ピフ)さんなしでは成り立たなかった映画のように思えました。脚本の作成段階で彼の出演は決まっていたのでしょうか?また、パレルモという舞台を選んだのはピフさんの出身地ということが関係しているのでしょうか?

プロデューサーが映画化の話をもってきたときにピフもいて、そこで一緒にやることが決まったのです。それで、ピフが役者でやるのであればパレルモがよいということになりまして…私はパレルモに詳しくなかったので、実際足を運んで決めました。選んだ理由はいくつかあるのですが、第一に「死」を感じさせる街であるということ。映画では描かれていませんが、カタコンベという観光地になっている墓地があり、強く死を感じさせる街なんです。また大きな街で、人々が甘い生活を送っているので、その中にラブストーリーの想像も広げやすい、一方犯罪の臭いも強くあったりとコントラストが激しい街なんです。

──シチリアというと多くの場合、マフィア映画の舞台で取り上げられますね。

はい、パレルモ、シチリアと言ったらマフィアと紐付けられますけど、実際はそれとも違う表情も持っている街ですね。撮影しているときも、様子を見に来た人がマフィア映画の撮影ではないことにびっくりしていました。

──先程おっしゃっていた甘い生活というのは具体的にどのような意味でしょう?

パレルモは非常に物価が安いんです。生活水準は高いが物価は安い。なのでビーチを横目にテラス付きのアパートで暮らしたりすることもしやすいです。安い値段で人生謳歌することができる、そういう非常に甘い町なんですね。主人公が死ななければならない罰があるとしたら、やはりそういった甘い生活のあるパレルモが設定として適していると思いました。

天国の役人が監視する中、妻の信頼取り戻そうと奮闘するパオロ

──監督は原作本を愛読書として、よくプレゼントされたりもしていたと聞いています。監督にとって「物語」とはどのような意味を持ちますか?

自分にとって「物語」が持つ意味は、多分、幼少期の大家族で過ごした思い出が関わっていると思います。日曜日は家族みんなで飲んで食べてお昼を過ごすのですが、そうするとおじさんたちが、大げさで嘘っぽい話を沢山してくれて、それがとても楽しい思い出なんです。日常的にそういった面白い話ができるおじさんやおばさんたちにすごく感動していたんです。そして食事が終わるとみんなで映画に行きます。イタリアは映画館がたくさん有りましたし、いろんな映画をみんなで見ました。その幼少期の二つの経験が自分に非常に影響しています。もうひとつ、父方の家族は真面目な文学的な人たちが多く、小説などに触れる機会もありました。それも自分の形成には大きく影響していると思います。物語を物語ることっていうのはある意味、意味がないモノに意味を与えることができる、そういう錯覚を覚えさせてくれるようなものがある。例えばこの映画の中でも、赤信号で止まるか止まらないかで人生が変わっていくわけですから。

──劇中ではイタリアらしくサッカーに熱狂しているパオロと友人たちのシーンもありました。サッカーも90分のタイムリミットのあるゲームです。今回パオロに与えられた余命、つまりタイムリミットも92分ですね。この物語に置いて重要な意味を持ちますが、「タイムリミット」というものをどう捉えていますか?

やはりタイムロックして物語を描くっていうのは非常に利点があります。特に展開が激しい物語では特に利点があるわけです。誰もが自分たちの時間が限られてたものであるってことは知っているけれども、いつ終わるかっていうことは知らない。
サッカーや仕事などはタイムリミットが見えているわけですね。でも、自分の死の瞬間がいつであるかっていうのは知らないで、そこを逆手にとると見えないものが見えて、生き直すことができて、それがこの映画の物語になってるわけです。最終の時間がわかることによって物語がかたちづくられていくということだと思います。