欲望に従うしかない、恋人たちのどうしようもなさ
──そんな有村さん演じる泉が、バスルームで葉山先生の髪をカットするシーンに引き込まれます。感情が抑えきれなくなった泉は、衝動的に行動することに。
バスルームのシーンは、カメラを回す前に簡単に段取りを説明しただけで、あとはほとんどリハーサルはせずに、ライブっぽく撮り、それを編集で繋いだんです。うまく行きましたね。葉山先生は泉に対して「悪い」と思い、泉は自分の感情の代わりにシャワーを全開にして先生に浴びせる。普通なら男は甘んじてシャワーをそのまま浴び続けるんでしょうが、顔に当たったシャワーが思いのほか熱かったのか、とっさにシャワーを止めさせようとしますよね。ああいう思いがけない反応って、リアルですよ。
──泉役の有村架純さんは、本作で2度のベッドシーンに挑戦する。官能的なシーンですが、男と女がお互いの愛を確かめ合う通過儀礼的な厳粛さを感じさせました。
撮影現場でも女性側の視点から撮ることを意識しました。男の欲望でのしかかれたら、女性はどう感じるんだろうかと。泉はセックスの経験は少ない。多分、小野くんがロストバージンの相手だったはずです。自分から何かを諦めようとしていたときに、男に求められて流れとしてベッドを共にする。そしてもう一度、ベッドシーンがあるんですが、そこで「えっ?」と違和感を覚える人もいるかもしれません。その前で終わっていれば、すごく美しい恋愛ものとして完結するわけです。でも、もう1シーンある。そこには欲望というどうしようもなさがあるんです。2人は別れを意識しながらも、抱き合うことになる。この2つのベッドシーンは、彼女の人生において重要なターニングポイントでしょうね。
──大人の恋愛トーク、ありがとうござました。最後に行定監督の愛読書を教えてください。
『パレード』(10年)の吉田修一さん、「きょうのできごと」(04年)の柴崎友香さんたちとは映画の公開後も仲良くしていて、新刊が出る度に読むようにしています。吉田さんの短編集「熱帯魚」はどれも傑作ぞろいだと思いますよ。やっぱり、人間のどうしようもなさを描いた小説が好きですね。それって多分、作家自身の原風景が色濃く出たものだと思うんです。自分も映画を撮っていると、自分自身の写し鏡だなと感じることがあるから、小説にもそういうものを求めるんでしょうね。例えば、宮本輝先生の小説がそう。昔から愛読していますが、「錦繍」や「真夏の犬」は本当に素晴しいですよ。いつか映画化できればいいですけど、あまりにも偉大な作品なので簡単には手が出せないかもしれませんね。
取材・文 / 長野辰次 撮影 / 名児耶洋
行定勲(ゆきさだ・いさお)
1968年熊本県出身。2000年『ひまわり』が第5回釜山国際映画祭の国際批評家連盟賞を受賞し注目を集める。その後、『GO』(01年)、『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)の大ヒットで売れっ子監督に。主な監督作に『贅沢な骨』(01年)、『北の零年』(05年)、『今度は愛妻家』(10年)、『パレード』(10年)、『ピンクとグレー』(16年)など。ロマンポルノリブート作の第1弾『ジムノペディに乱れる』(16年)も大きな話題を呼んだ。公開待機作に岡崎京子原作の『リバーズ・エッジ』(18年公開予定)がある。初のエッセイ集「きょうも映画作りはつづく」がKADOKAWAより発売中。
映画『ナラタージュ』
ナラタージュ(narratage)とはナレーションとモンタージュが合わさった映画用語で、ある人物の語りによって過去を再現していく手法のこと。映画配給会社に勤めるごく普通の女性・工藤泉(有村架純)が高校・大学時代にどのような恋愛を体験してきたのかが、泉自身の回想によって物語られていく。普通の女の子が抱える心の傷をナチュラルに演じてみせる有村、30代になって大人の男の憂いを見せるようになった高校教師・葉山役の松本潤もいいが、より強く印象に残るのは、報われない恋に悩む泉を支える好青年・小野を演じた坂口健太郎だ。泉に愛情を注ぎながらも、泉が葉山への想いを断ち切れずにいることを知るや、別人に豹変してしまう度量の狭い“痛い男”を熱演している。本当に恋人のことを愛していたのか、それとも恋人のことを一途に想う自分自身に酔っていただけだったのか。本作を観た人それぞれの失われた愛の記憶を揺さぶるような、心に突き刺さる名場面の数々が夏の富山で繰り広げられる。
出演:松本潤、有村架純、坂口健太郎、大西礼芳、古舘佑太郎、神岡実希、駒木根隆介、金子大地/市川実日子、瀬戸康史 監督:行定勲 原作:島本理生「ナラタージュ」角川文庫刊 脚本:堀泉杏 配給:東宝=アスミックエース 2017年10月7日(土)より全国ロードショー (c)2017「ナラタージュ」製作委員会 公式サイト:http://www.narratage.com/
「ナラタージュ」島本理生/角川文庫
島本理生が立教大学在籍中の2005年に書き下ろした恋愛小説。高校から大学に進学した主人公・工藤泉が、等身大のキャラクターとして現実感たっぷりに描かれている。高校時代の恩師・葉山先生と理系の大学に通う小野との三角関係だけでなく、泉がドイツで暮らす両親のもとを訪ねるエピソードや、演劇部の後輩・柚子が抱える心の闇についても具体的に触れており、『ナラタージュ』の世界をよりじっくり味わいたい人におすすめ。泉・葉山・小野を、有村架純・松本潤・坂口健太郎が、それぞれどのように解釈して演じてみせたかを読み比べてみるのも楽しい。
「真夏の犬」宮本輝/文春文庫
宮本輝が1990年に発表した4番目の短編集。ひと夏の間だけ、廃棄自動車を集めた空き地の見張り番を父親から頼まれた少年が暑さや野犬たちと孤独に闘う姿を描いた表題作のほか、喫茶店でいつも温かいコーラを注文する謎めいた女性客に魅了される喫茶店の店主の推理もの『ホット・コーラ』、人気プロレスラーの弟を自称する香具師と出会った少年時代の思い出を辿る『力道山の弟』などを収録。過ぎゆく夏、少年期の終わりをテーマにしたコンセプトアルバムを聴いているかのような気分になる。宮本輝の作家としての充実ぶりが伝わってくる名短編集だ。