松居大悟監督の最新作『くれなずめ』が5/12に公開される。現在公開中の映画『バイプレイヤーズ〜もしも100人の名脇役が映画を作ったら〜』も監督を務めるなど、若くして人気と実力を兼ね備えた映画監督だ。そんな松居監督が自らの思い出を包んだ作品を、恥ずかしがりながらも届けてくれた。旧友の結婚式の余興のため集結した学生時代の仲間たち、彼ら6人の二次会までの狭間時間の物語。そこで描かれるのは、余興で滑り倒した直後の現在と、吉尾(成田凌)をめぐる何気ない思い出や消化不良の過去。そんな暮れなずんだ6人が、阿呆で馬鹿で愛おしくて、ずっと一緒にいたくなってしまう。
整ったものを好まない松居監督は、過去に『君が君で君だ』(2018)で自己愛と他者愛の境界線を、『アイスと雨音』(2018)では舞台と映画の境界線を壊してきた。今回、『くれなずめ』が壊したのは作品と観客の境界線かもしれない。
きっとこの映画は君の良い友達になる。
そんな紹介をされたと思って、ぜひ松居大悟監督のインタビューを読み進めてほしい。
松居大悟監督インタビュー
—監督自身の経験で、吉尾のモデルともなったふっといなくなったしまった友達に書いた、手紙のような作品と仰られてました。今(4/15現在)、公開を控えてどのようなお気持ちか教えてください。
すごく恥ずかしいと言いますか…今までの作品はテーマや面白さがちゃんと伝わるように取り組んでいたんですけど、今回はそこをあまり意識せず、初めて自分の内側に向けてつくった作品でした。けれども、作品を見た人が自分事のように自分の友達の話をしてくれて、嬉しいのと恥ずかしいのとがモヤモヤ入り交じった、なんか友達のような作品に思いますね。
—素晴らしい俳優さんたちが6人のキャラクターを演じ、独特の空気感と一体感をつくりあげていました。監督の思い出の中に、各キャラクターのモデルはいたのですか。
モデルというか、そいつへの思いを描きたかったという意味では吉尾だけですね。他の人物は吉尾との関係性をイメージして作りましたが、欽一は僕と同じ劇団主宰であったり、自分の経験が元になっている気はします。
—欽一の役は性格的にも監督ご自身に似ている部分がありますか。
あります、あります。やっぱり皆を呼び集めて、別に仕切るわけじゃなくって。核心にせまらず笑ってヘラヘラしているスタンスの取り方とか、自分に近いです。
—リハーサルの期間は1週間だったと聞きました。その期間に6人の関係性を築き上げるというのは、意識されたところでしょうか。
意識しました。それこそ綺麗な芝居というよりも、お互いが信じ合っている状態にさえなれば、もうどうなったってこの作品は大丈夫だ、と思ってたんで。1週間リハーサルって言いながら、別に台本持って動いたりするわけじゃなくて、とにかくずっと雑談とかしてました。スタッフが心配になるくらい、本当にみんなダラダラしてたんですよ。なんなら「なんで台本持ってんの?」っていじれるくらいの感じでみんなが許しあえたと言うか。そういう関係性になろうと思って運んでいったので、そうなってしまえば、あとはもう大丈夫でした。
—主演の成田凌さんが手を挙げてくれて、映画化が実現に向けて一気に動き出したと伺いましたが、具体的にどんな経緯だったのか教えてください。
こんなに何も起きない物語で、すごく個人的な話で、お金も集まってなかったんで、どうしたらいいかってプロデューサーと話していたんです。イメージキャスト教えてくださいと言われて、成田凌くんに吉尾を生きてほしいなと。それを伝えてオファーしてみたんです。当時僕が舞台をやっていたんですが、そこに成田くんがマネージャーさんと一緒にやってきて、終演後に楽屋でお会いしたんです。そこで「台本読みました。面白かったんでよろしくおねがいします。」って言ってくれて。なんかすごい嬉しかったですね。成田くんの出演が決まったら、委員会組まれて、キャスティング進めてっていう感じでした。
—本作は元々舞台作品でしたが、映画化するにあたり意識された点や変更された点はあったのでしょうか。
演劇のときは、もう完全に素舞台といって壁だけがある舞台で、見てる人の想像力に委ねながら劇を進めていたんです。映画になるとシチュエーションもちゃんと情報になって伝わるので、お客さんの想像力を「この6人でいる感情」に置こうと考えました。その点で、撮り方を意識しましたね。台本は後半の方だけは変えました。