東宝の社員プロデューサーとして多忙を極める川村元気氏だが、初めて執筆した小説『世界から猫が消えたなら』は新感覚のファンタジー小説として若者たちに人気を博し、ベストセラーとなった。さらに今年4月には理系畑の第一人者たちとの対談集『理系に学ぶ。』とハリウッドの巨匠監督たちとの架空対談集『超企画会議』を上梓し、11月には新作小説を刊行予定。売れっ子作家としての顔も持っている。その柔軟な発想力はどのようにして生まれ、また執筆時間はどうやって捻出しているのか。インタビュー後編では、川村元気氏のクリエイターとしての側面をクローズアップ!
――今年5月には川村プロデューサーの処女小説の映画化『世界から猫が消えたなら』も劇場公開されました。この作品も映像化が難しい内容でした。映画化が困難な題材に惹かれるようですね。
川村 文章を読んで、映像がすぐ思い浮かぶのなら、別に小説のままでいいんじゃないかと思うんです。湊かなえさんの『告白』を読んだときも、5人の登場人物たちがそれぞれ独り言をしゃべるという映像化困難な小説をどうすれば映像化できるだろうと興味が湧いたんです。自分が分からないことへの関心が、僕の場合は作品づくりの意欲に繋がっていくんです。『告白』の場合は、湊かなえさんが描いた世界に、レディオヘッドの音楽を流したらどうなるかという興味などもありました。『怒り』の場合は坂本龍一さんの音楽であり、『バクマン。』ならサカナクション、現在公開中の『君の名は。』ではRADWIMPS……。俳優の肉体と音楽がどんな化学反応を起こすのか、やってみないと分からない。結果が分からないことのほうが面白いし、みんなが見えないものに向かって懸命に頑張ることで面白いものが生まれる。映画という表現媒体のいいところは、いろんなタイプのクリエイターがいて、ひとつの作品を一緒に作り上げることだと僕は考えているんです。
――映像化しやすい企画には、興味が湧かない?
川村 僕は小説も書いているんですけど、「まったく映画化できないものって何だろう?」ということを考えながら書いているんです。小説は小説で、映画化できないものを考えることが面白いんです。
――吉田修一作品は川村プロデューサーが関わった『7月24日通りのクリスマス』『悪人』『怒り』の他にも、『パレード』『横道世之介』『さよなら渓谷』などが映画化されています。吉田作品の魅力を、どのように感じていますか?
川村 今の時代の気分を、吉田さんが鮮やかに切り取ってみせているということに毎回驚かされます。吉田さんのデビュー小説『最後の息子』を読んだときに、「こんなに同時代性を持った作家の小説に初めて出会った」と思ったんです。その後、シェアハウスを題材にした『パレード』を読んで決定的にそう思いました。あの共同生活の中でお互いのルールとマナーを守りつつ、でもお互いのこと信用していない感じって、すごく今様だなと思ったんです。初めて自分たちの気分を語ってもらえた気がしました。吉田さんは『悪人』から犯罪劇が多くなってきましたが、やはりいずれも今の時代の空気をうまく言い当てている。『悪人』は誰と一緒にいても、孤独さを感じてしまう人たちの物語だと僕は思っています。『怒り』もそうですね。本気で怒っても、どうせ何も変わりはしないんだと。社会や自分が置かれている状況に対して不満を抱いているんだけど、諦めの境地でその感情を呑み込んでしまう。その感情こそが怒りなんだよと。吉田さんにそう言い当てられたときは、これってすごくマスな感情だなと思ったんです。同時代性という点では、僕がいちばん尊敬しているクリエイターかもしれません。
――『怒り』では自分が愛した相手のことを信じようとするけれど、完全に信じ切ることができない不安感や自分への嫌悪感といった様々な感情がもつれ合いながら流れていますね。
川村 でも、吉田さんは必ず作品の中に希望を描こうとするんです。そこも僕が好きなところです。今回の『怒り』の映画化も、小説の発表から3年ほど経っているので、原作で描かれたものよりも少し先まで描こうという意識で作っています。映画って、いろんな楽しみ方ができると思うんです。カジュアルに楽しんでもらえる映画がある一方で、たまにはクラシックコンサートを正装して鑑賞するみたいに、がっちりと向き合って何かを持ち帰るというエンターテイメントがあってもいいと思うんです。『怒り』はそういうタイプの映画かなと思います。気軽に観てくださいとは言えないですけど、こういうものにお金を払って楽しむのって、すごく高級な遊びだと思うんです。しかも、映画の料金は同じですしね。