1972年に発表されて、数多くの名優たちが相当の覚悟を持って映像化してきた山崎豊子の名作『華麗なる一族』がふたたびドラマとして蘇る。舞台となる1960年代は高度経済成長期の最中。質実剛健たる美徳と高度成長の自負が共在する、二律背反な日本のお金持ちが多く生まれていた時代でもある。そんな軋んだ時代の中に、フィクションとして存在した万俵家という歪な家族は、どこか煽情的でいつの時代も我々を魅了する。そして、その物語の基軸は万俵大介とその息子鉄平の確執である。鉄平の30代という年齢は、社会と自己の価値観の衝突の中で、アイデンティティの定着と崩壊をはげしく繰り返す年代だと感じている。私には、この万俵鉄平が大介と対峙する姿は、世の中に抗う30代の極端な要約にも映る。
今回、万俵大介を演じる中井貴一、その万俵大介の愛人高須相子を演じる内田有紀のお二人にインタビューする機会を頂いた。私や鉄平の年齢を通り抜け、今も飛躍を続けるお二人の俳優に、少し後ろを振り返って30代という年齢を紐解いてもらった。中井貴一は「俳優は生業」と語り、その生業を内田有紀は「苦しいけど楽しいもの」と、それぞれに着地した価値観を話してくれた。字面以上の奥行きを持ったこの言葉の意味を、ぜひインタビューから汲み取ってもらえたらうれしい。
「連続ドラマW 華麗なる一族」は 4 月 18 日(日)より放送開始
—度々映像化されている『華麗なる一族』を再び世に出す意味をどのように解釈されていますか?
中井貴一(以下、中井):いま、様々な生活様式、そしてテレビ・メディアのあり方みたいなものも変化している中で、『華麗なる一族』は小説としても映像化する題材としても不朽の名作だと思います。日本はお金持ちの存在をどこか実感させない社会づくりを先行してきた感じがして、僕たちがドラマ化や映画化をするにあたり題材がものすごく少ない。その中で珍しくお金持ちの一家を映し、高度成長期の変容や家族のあり方自体を描いているドラマですので、タイムリーかどうかはわからないですが、この作品を見直す時期に来ているような気はしています。
内田有紀(以下、内田):これからの時代、私は自分たちが生き方を選択できる、自分らしく生きやすい時代になっていくんじゃないかと感じていて。さきほど貴一さんが仰った、家族のあり方であったり、自分の人生の歩き方をあらためて考えているときに、『華麗なる一族』という偉大な作品をお届けできるということは、なにかしら意味があるのではないかなと思っています。
—高度成長期の1960年代の物語ですが、この時代をどう捉えられていますか?
中井:まだまだアナログな時代で、実生活で嘘もつきやすく、それはある意味で寛容な世の中であったとも思えるんです。人間って寛容な中に生きていると、こずるくもなって、ロッキード事件とかが起こり得うる時代だった。そういうのを引き締めていくことによって健全にはなっていくけど、人間社会として面白いのかというと、面白くない社会になってきてしまっているという気がしています。あの頃、皆が当たり前に自由だと思っていたことが、ギュッと締められることによって、あの頃が良かったって今思っているわけで、あの頃(その時代を)良かったかと思っていたかっていうと、そんなこともないわけであって。そういう共通性はありながら、あの1960年代のどこかおおらかで、携帯電話に泳がされることもなく、おじさんたちが一生懸命悪いことを企んで(笑)、自分たちが生き残るためになにをすべきか、自分たちが大きくなるために、何をするかということをアナログで考えている時代っていうのは、とってもドラマになりやすいし面白いなと思いながら、僕は1960年代を感じています。
内田:私は生まれていないので60年代は時代劇のような感覚です。この物語を読んだときに、やっぱり「高度成長期」という字面がちょっと怖くなったというか、この文字にすごい意味を感じました。日本人として、そこに乗り遅れちゃいけないという感覚があったと想像できます。原作を読ませてもらうと、女性は生きづらかったとも思いますし、今の私はあらためて幸せだなと思います。女優としては、楽しく、つらくもあり、深く演じることのできる題材だったので、とてもやりがいがありました。
—錚々たる役者さんたちが演じてきた、万俵大介、高須相子という役を演じるにあたり、率直にどのような感想をお持ちでしょうか。
中井:自分として一番愕然とするのは、子供の頃に見た、あの佐分利信さんがやってた役をやる歳になったんだと…ですので、僕がやらせてもらう以上は、全く別の、より原作に近い万俵大介像を作り上げたいと思っているんです。結局その時代時代で俳優が変わるごとにその作品の色が変わってくっていうことが、多分面白い。また新たな『華麗なる一族』、それは内田さんが相子をやって、愛人と万俵大介との関係性みたいなものが新たに生まれていくっていうのが何かこう面白いかなと思って撮影に臨みました。
—内田さんはいかがでしょうか?
内田:仰られたように錚々たる方々が、高須相子を演じてらっしゃいます。貴一さんにも「あの相子だよ」と言われ、その一言に重みを感じました。また原作を読んで、そして歴代の高須相子の映像を見て、私が生きた45年間、何を感じ、どう生きて、何に悲しみ、何に喜んだか、この全てを相子にぶつけようと決心しました。そうじゃないと太刀打ちできる作品でも役でもないと。お話を頂いたとき嬉しさと同時に怖さもあり、どのように相子を演じていこうかということに悩みました。20年近く大介の愛人でいる、万俵家の裏のフィクサーであり、そこに自分の居場所を見つけていて、愛されたいという女の気持ちも持っている。そのために戦っている相子に、私自身が負けないようなエネルギーでぶつからなければ演じ切れないなという気持ちでいました。
—昔の俳優さんが演じている万俵大介は実の役柄の設定より年上に見える気がしますが、諸先輩方とのギャップで意識するところはございますか?
中井:いえ、あまりしないですね。でも見た目は親父たちの時代の60歳と比べるとマイナス10くらい、もしかすると20くらいじゃないかと。小津安二郎先生が亡くなったのが60歳で、映像に残っている小津先生って私達が見ると80歳位に感じてもおかしくない。先程もお話したように原作に近くというのも、僕が年齢的に一番近いので、若さみたいなものを少し出せたら良いと思ってます。でも、結構後輩に聞くと、自分では若いつもりだけど60歳くらいに見えてるんだなと。本人に意識がないだけで先輩は先輩なんで…。(内田さんを見て)気をつけたほうがいいよ(笑)。昔も今も60歳が持っているものは精神的には変わらない気がするので、そこをうまく出せればいいかなと思ってやらせて頂きました。
—少しお聞きしにくいところですが、愛人相子との夜のシーンは、なまめかしい描写になっているのでしょうか?
中井:ものすごいなまめかしいです(笑)。コロナ禍とは思えないくらいなまめかしいです!