沼田まほかる原作の、究極の愛を描いたミステリー作品「彼女がその名を知らない鳥たち」。ダメな女とダメな男の送るだらしのない日常を描きながらストーリーは意外な方向へ。謎をはらんだ展開に嫌な汗をかき、体当たりのシーンでは動悸を覚え、ラストはあまりに不器用な愛の形にやるせない気持ちに包まれる劇映画が誕生した。今作で、金も地位もなく清潔感の欠如した男・佐野陣冶を演じた阿部サダヲさんに陣冶という不思議と憎めないキャラクターの秘話や、陣冶と過ごした撮影期間のエピソードを伺いました。
──今作が初めての白石和彌監督作品へのご出演となりますが、白石組に参加されてみての感想を伺えますでしょうか。
白石監督の作品は「凶悪」などを観ていたので、作品から受ける印象で、なんとなく体が大きくて、いかつくて、怖い方なのかなと勝手なイメージを抱いていたんです。でも実際お会いしてみると、すごくかわいらしいファニーな方で、良い意味でイメージと違ったのでびっくりしました。それに何より、白石さんのお芝居の作り方が、とても僕には合っていたんです。
──具体的にはどういった部分でそういう感想を抱かれましたか?
これから撮影するシーンについて、こうやってください、こう動いてくださいと細かく指示をくださるんです。監督の頭の中に撮りたい絵が完璧にあるので、指示も的確でとてもスムーズに撮影が進みました。北原十和子を演じた蒼井優さんも体当たりのハードなシーンが多かったにも関わらず、文字通りサクサクと流れるように現場が進み、僕の記憶する限りではその流れが止まることはありませんでした。
──関西が舞台のストーリーということで、阿部さんが演じた佐野陣冶も全編関西弁を話しますね。
そうなんです、撮影中は毎日方言指導の方が吹き込んでくれた音声を聞きながら寝ていました。もう、そのお手本音声を聞いていないと不安な状態だったので、とにかくずっと聞いていたのですが、それでもセリフに感情が乗ってくるとイントネーションが変わってしまうみたいなんですよ。でも自分ではそれがわからなくて、指摘されるたびに直していくという作業の繰り返しで。そのせいで撮影の流れが止まってしまうのは避けたかったので、本当に苦労した点でしたね。芝居とはまた違う苦労がありました。
──とても流暢な関西弁を披露されていたので、違和感なく拝見できました。
それは良かったです。関西で撮影をしていたので、なるべくたくさんの関西弁を聞こうと思って地元の方が通うような居酒屋へ足を運んだり。関西に住んでいる友達もいるので、なるべくその人と会話をする機会を持ったりもしました。でも、関西弁を話すことに対してどこか恥ずかしさもあったんです。本当の自分は関西弁を話せないのに、関西弁を話す芝居をするというのは嘘を付いているような気持ちになってしまって。そもそもお芝居っていうもの自体、広い意味では嘘なんですけどね。僕は阿部サダヲであって、佐野陣冶ではないし。そこがうまく咀嚼できないことがたまにあって、今回もなぜかそういう思いに捉われてしまったことがあったんです。そういう不安を監督に打ち明けたら、陣冶が出身地を明らかにしている描写もないし、もしかしたら別の他府県から流れて来た人間かもしれないから、関西弁ネイティブである必要はないのでは、という言葉をもらって。そこでやっと少し安心することができました。
監督やスタッフさんの陣冶への愛が半端なかったんです
──陣冶は不潔でだらしがない上に、下品で金もなく、十和子が嫌悪感を抱くのも仕方ないなと思わせるキャラクター造形ですが、観ているうちにだんだんと陣冶が好きになっていくような不思議な感覚がありました。
監督もそうなんですけど、周りのスタッフさんも陣冶というキャラクターをすごく愛しているのが伝わってきたんですよ。撮影の順番的には十和子と陣冶のシーンを前半の方で撮って、後から竹野内豊さんや松坂桃李くんがクランクインする流れだったんですけど陣冶が愛されているあまり、スタッフさんの間では竹野内さんや松坂さんが入る前日に「明日から悪いヤツらがやって来るぞ」って言われていたらしくて(笑)。僕が先に撮っていて良かったなと心底思いました。
──陣冶が愛されキャラだからこそ、竹野内さん演じる黒崎や、松坂さん演じる水島のダメさが際立つ部分がありましたもんね。
最初にオファーをいただいた段階から、監督の陣冶に対する、思い入れも並々ならないものがあって。そういう思いが伝わってきたからこそ、ただ不潔で汚らしいだけの男ではなくて、愛されるキャラクターとして作り上げなくてはいけないのでは、と自分でも思いましたし、僕だけの力ではなくみんなと一緒に陣冶を作り上げて行った感覚があります。
──阿部さんご自身も陣冶に惚れこみました?
そうですね、やっぱり僕が好きにならないと始まらないと思ったし、そんなに気負わずとも自然と好きになっていきました。
──陣冶のビジュアル的には工夫されたことはありますか?
スタッフさんが爪が汚れている感じを出すために何回も爪にマニキュアみたいなものを塗ってくれたり歯にヤニを付けたりしてくれましたけど、僕自身は何も構わなくて良いのがすごく楽で。衣装も汚れた作業着が基本だったので、いくら汚れても大丈夫だからと待ち時間はその辺に座ったり、コンクリの上で寝転がったりして、本当にだらしがないことになっていましたね。十和子と陣冶が暮らすアパートは実際の団地をお借りしていて、そこの空き部屋を控室として使っていたんですね。昭和な雰囲気の畳敷きの和室で、そこに寝そべって、普段はタバコを吸わないんですけど撮影用のフェイクタバコがあったので、それを吸いながらダラダラしていて。あのときはずっと陣冶でいたから、お弁当を食べている最中にポロッと床に落ちたりしても拾って食べたりできました(笑)。普段からきっと、そういう気持ちになっていたんでしょうね。
──内面的には陣冶であるために大切にされていたことはありますか?
僕自身が何かをするよりも、台本に書かれていることと、監督の指示が的確だったので、あえて自分発信でアクションすることはなかった気がします。陣冶は単純なようで謎めいた役なので、表情の一つとっても後々それが大きな意味を持つこともあるのですが、そういう細かい部分も監督が把握されていたので、僕は従うのみ。最後まで監督を信じて芝居をしていけば良い、っていうのは一見簡単なようですけど、そうそうあることではないので。自分の演じる役柄に、ここまでの愛を感じることって稀なので、貴重な体験だったと思います。