Jun 06, 2019 interview

五十嵐大介、“幸福感”に包まれながら描いた『海獣の子供』誕生&創作秘話を明かす

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作品づくりの原点となっている島

――沖縄旅行されたのは、初めての連載『はなしっぱなし』を終了した20代の終わり。肉体的にも精神的にも疲れていた?

そういう面もあったでしょうね。僕は埼玉県浦和市生まれで、両親は東北出身です。南の海への憧れもあったように思います。沖縄へ行く前年に漫画家の友人の黒田硫黄さんと台湾へ行き、台南市で食べたご飯がとても美味しかったこともあって、もう一度行こうと考えていたんです。でも、そのとき本屋でふと手にした本を開くとそのページが西表島で、たまたまラジオを聴いていたら西表島の紹介をしていたんです。自分の頭の中に「西表島」というワードがスッと入ってきて、「あっ、これは呼ばれているな」と思ったんです(笑)。

――琉花と“海”が訪れる島の濃密なジャングルや今にも降ってきそうな満天の星空は、いかにも西表島らしいですね。

そうなんです。西表島は独特な島で、いろんな意味で僕の作品づくりの原点となっています。原生林が手つかずのまま島全体に残っていて、島に上陸したときに生命の密度が非常に高いことに圧倒されました。僕にとって、とても大切な旅でした。あの島で僕が感じたことを形にして、他の人にも伝えたいなぁという気持ちが『海獣の子供』になったんだと思います。旅をしながら、いろんな人たちと出逢い、いろんなものを食べ、眺めた景観ですとか、旅の経験が有機的に繋がった貴重な体験でした。

――『海獣の子供』は世界各地の神話、民俗学、海洋学といった多彩な要素が盛り込まれています。

子どもの頃から、そういうのには興味がありました。それに加え、やはり沖縄旅行中に知り合った旅仲間たちから受けた刺激も大きかったと思います。織物の勉強のために旅をしている人たちに誘われて、島の織物工房などを見学しました。工房ではカイコを自然に近い形で育て、染料なども身の回りのものを使っているわけです。食べ物も自分たちで用意している。自然と一体化した島の暮らし方に感動したんです。沖縄は伝統芸能やお祭りも盛んです。若い子でも他の人の家にお邪魔するときは、まず仏壇に向かって手を合わせる。目に見えないものを大切にする生活って、すごいなぁと。その感覚はかつての自分にもあったもので、自分の居場所をようやく見つけた気がしました。そういう体験から、お祭りや民俗学に興味が湧き、ハマっていった感じですね。