輸入雑貨の貿易商・井之頭五郎は、かつての恋人 小雪の娘、千秋から、依頼したいことがあるとの連絡を受けて、フランスはパリへと向かう。依頼者は千秋の祖父、一郎。子どもの頃に飲んだスープがもう一度飲みたい、そのための食材を探してほしいと頼まれる。一郎の記憶を辿りわずかな地名をヒントに、その究極のスープを求め、フランスから韓国、長崎、東京を巡る五郎だったが、行く先々でさまざまな人々と事件とに遭遇、次第に大きな何かに巻き込まれていく‥‥。
原作・久住昌之、作画・谷口ジローによる人気グルメ漫画「孤独のグルメ」。2012年にテレビ東京より実写化され、2024年にはシリーズ10に至る人気ドラマシリーズとなった。そしてこの度、満を持して、12年にわたって井之頭五郎を演じてきた松重豊による初の監督・脚本、そしてもちろん主演での劇映画化として公開された。他に、内田有紀、磯村勇斗、杏、オダギリジョーらが脇を固める。
予告編制作会社バカ・ザ・バッカ代表の池ノ辺直子が映画大好きな業界の人たちと語り合う『映画は愛よ!』、今回は、『劇映画 孤独のグルメ』の監督・脚本・主演の松重豊さんに、本作品や映画への思いなどを伺いました。
12年続いた人気ドラマシリーズを整理する意味での映画化
池ノ辺 五郎さんが目の前にいるなんて感激です(笑)。お会いしたいと思っていたんですよ。
松重 そう言っていただけると、嬉しいです。
池ノ辺 「孤独のグルメ」のドラマが始まったのが2012年ですね。
松重 そうですね、震災の翌年でした。今の、コロナ明けの状況とちょっと似ていますよね。前の年の3月に震災があって、映像の仕事がほぼ元通りになったのが夏過ぎくらいだったと思います。その年の暮れ頃に、「実はこういうドラマの企画があるんだけど」という話があったんです。でも世間がいろいろと自粛ムードになっている時に、ただおじさんが飯食っているだけのドラマっていいの?そういう時代でした。
池ノ辺 五郎さんの役が松重さんにオファーされたのはなぜだったんですか。
松重 それは僕もよくわからないんです。人前で食っているところを見せてきた記憶もないですし。経緯はわからないですけれど、やる以上は、原作のテイストも大切にして、何もドラマチックなことは起きないし起こさない、それでいいんですね、ということで始めたんです。
池ノ辺 そのドラマが10年以上続いて、今回の『劇映画 孤独のグルメ』となるわけですが、映画にしようとなったのはどういう経緯なんですか。
松重 このドラマは、本当に何も起きなくて、ドキュメンタリーなのかドラマなのかの境界線すら曖昧な感じの深夜のドラマとして細々と始まりました。それでも少しずつお客さんが増えて、シーズン2、シーズン3もやりましょうとなっていった。ただ、こういう作品なので、こちら側としてもやるからには覚悟が必要で、しかもその覚悟があって、なぞったとしても、もう1度同じようにできるかどうか、毎回その瀬戸際でやっていたんです。それでも幸運なことに、なんとかここまで続けることができました。
池ノ辺 ドラマの時点ですでに大変だったんですね。
松重 そうやって細々と続けてはきたんですが、月日が流れれば当然スタッフも僕らも歳をとってくるわけです。僕は同じ役を変わらずやっていますけど、ドラマの立ち上げから監督を務めた監督が亡くなったり、異動などでスタッフの入れ替わりが多かったり。それを若い人たちが後を引き継いで背負ってくれるということでこのドラマも普通に続けられると思ったんですけど、やはり時代の流れとともに、テレビの役割も変わってきて、非常に曖昧な状態になってきたと思うんです。一方でテレビや映画だけでなく配信や動画が溢れる中で、テレビで、こういったドラマなのかドキュメンタリーなのかわからないようなものを作り続けるというのは、若い人たちの活躍の場を狭めてしまっているんじゃないか、そういう不安もあったんです。
池ノ辺 その気持ちはすごくわかります。
松重 実際、見切りをつけて外に出ていく人が増えてきて、とりあえず制作会社は代わりの人を探してきますけど、そうやって続けることの意味が本当にあるのか、そういう思いが10年経った上での総括として僕の中に出てきた。このドラマが、幸せな場として存在できているのかそういうことすらわからない、と思ったんです。もちろん、テレビ局や制作会社は作り続けてほしいと言いますけど、僕自身のモチベーションとして今後のことが見えてこない状態でした。
池ノ辺 そこから映画化するという流れは、どうやって出てきたんですか。
松重 これはもうある種アンチテーゼのような形で出てきたんです。そもそも映画化なんて、そうそう簡単にできることじゃないですよ。だから映画化の話があっても、「これを映画にするのは非常に困難ですから無理です」と今までは言ってたんです。それを敢えて映画化して、それによって一度いろいろなことを整理しましょうと、そういうところからの話でした。