Mar 14, 2024 interview

ユーロスペース代表堀越謙三が語る 映画人生と"新潟国際アニメーション映画祭"

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映画祭と批評の意味~発見と価値づけ

池ノ辺 昨年開催された、第1回新潟国際アニメーション映画祭に伺いました。その時に、パネルディスカッションに出席し、堀越さんの、映画を売り出す仕掛けも聞いたんです。映画祭でどうやってヒットさせるのかとか。北野武監督の作品の仕掛け人としても活躍されたんですよね。

堀越 あれは1回だけですよという約束で引き受けたんです。海外で売り出したいというので相談に来られました。ヒットするかどうかはわからないし僕はそれに興味もない。ただ、その監督の価値づけをどうやったらいいのか、その方策は持っているということです。ですから北野監督の時も、フランスの有名な評論家のところにプリントを持って行って観てもらいました。

池ノ辺 その評論家に価値をつけてもらう?

堀越 そうです。評論家というのは、そもそも発見したいんです。自分が作れないことはわかっているので、「発見する」というのが彼らにとっての一番重要なクリエイトになるわけです。だから発見させてあげるような状況に持っていく。こちらは、それぞれの作品や監督を見極めてそれに見合った評論家を見つけて持っていく。みんな大御所の著名な評論家ですから、それに逆らえるライターはそうはいない。例えば、キアロスタミを売り込むのに黒澤明に話を持っていきました。黒澤が「これはすごい」と言ったらそれは誰も逆らえないでしょ? 

池ノ辺 確かにそうですね。

堀越 その価値づけがどういう意味があるかと言うと、価値づけしたものはロングテールになる。例えば、今ものすごくヒットしているアニメでも、そのほとんどは5年、10年経てば忘れられてしまいます。でも、小津安二郎の映画は100年は生き残り、松竹はその間利益を受け続けられるわけです。そのためには批評がすごく大事なんです。そして今のところアニメの世界でそうしたものがない。

そもそも映画祭というのは、もちろん商業的な意味もあるけれど、若手の育成ということでもとても大きな意味を持っています。僕は映画祭でも若手の監督にずいぶん付き合ってきましたが、映画祭に行くことでものすごく変わって帰ってくるんです。本当に、たった1週間でも違う。

池ノ辺 それは本当にそうですね。

堀越 特に海外の映画祭に行って自分の作品を観てもらうと、観客からの質問も日本とは違います。その経験は貴重です。それは海外がいいとか悪いということではなくて、とにかく違うんです。観客自体は、日本の観客はフランスに次ぐほど世界でも高いレベルにあります。だから世界の監督は日本に来たがる。

ところが、アニメではそうした機会が本当にない。特に日本ではそれが残念ながら欠落していて、批評を書く場もない。批評家も新作情報を書くしか仕事にならない。きちんとした視点から価値づけするという機会がないわけです。だからロングテールになりにくいんですね。

もちろん日本にはすばらしいアニメのクリエイターたちがいます。昨年の映画祭に関わってくれた押井守監督や大友克洋監督もそうです。彼らがどれだけハリウッドに影響を与えてきたか、いまや伝説的な存在にすらなっている、そうしたことも十分に知られているとは言えないし、そこをつないで引き継いでいく人たちが育っていない。ですから商品として長持ちしないんです。

池ノ辺 そのきっかけに、この新潟国際アニメーション映画祭がなってほしいということなんですね。

堀越 映画祭というのは、基本は「発見」です。新しい才能の発見、新しい映画のスタイル、それを生み出す国の発見、そして過去の優れた作家の再発見。それらの着火点のようなものです。そして、そこからどうつなげていくかが映画祭では非常に大事なんです。