田島ワールドのできるまで
池ノ辺 今回の様な、1本のマンガ作品はどういうふうに作り上げていくんでしょうか。
田島 まず鉛筆でネームを描くところから始まります。1話分できたら担当編集者さんに見せて、そこで、じゃあこれでもうちょっと描いてみましょうか、という仮OKが出たら、さらに続きを描いていきます。
池ノ辺 それでOKとなると連載が始まるわけですか。
田島 そうですね。だいたい3話くらいまできたら、じゃあ、こんな感じで行きましょうというふうになります。
池ノ辺 全体のストーリーは最初からかなり考えているんですか ?
田島 あまり考えていないです (笑) 。
池ノ辺 描いていくうちに編集者さんの意見やSNSのコメントなどで方向性が変わったりは?
田島 あまり人の意見に左右されることはないですね。
池ノ辺 じゃあ何か降りてくるんですね。それを待つ(笑)。
田島 そんな感じです(笑)。
池ノ辺 ところで、田島先生のペンネームって、何が由来なんですか。すごいですよね、日本列島を制覇しているような感じで(笑)。
田島 姓名判断で画数がものすごくいいらしいんです。石原慎太郎さんに匹敵するくらいらしい(笑)。ほとんどが大吉だとか。
池ノ辺 それはすごい。そういえば、そもそもなぜ漫画家になったんですか。
田島 マンガを描いて送ってみたら、賞をもらってしまいまして、それで‥‥。
池ノ辺 描くことがお好きだった。
田島 「好き」ということでもなかったんです(笑)。実は、映画監督になってみたいと、映像関係の学科のある大学に入ったんですが、やはり監督ともなると人にいろいろ指示したりしなきゃいけない、それはちょっと難しいと思ってそれは諦めて。実際大学の途中からは映像より舞台の方に関心が移っていきました。卒業後に初めてマンガを完成させて、それを講談社の「モーニング」に送ったら賞をいただいてしまったんです。
池ノ辺 漫画家さんのイメージって、何度も投稿してもダメで、このままマンガで食べていくの無理なのか、どうしよう、みたいなイメージだったんですけど、田島先生は最初に描いたものが通っちゃったんですね。
田島 そうなんです。私もまさか1回で通るとは思わなくて、10回送ってダメだったら就職しようくらいに思っていました。
池ノ辺 それが今や、超売れっ子漫画家さんですね。
田島 ただ、最初の頃の作品はほとんど連載ではなく短編だったんです。編集者さんからも「才能があるんだから」とずいぶん励まされたんですが、入賞した時の賞金が残っているうちに次に繋ごうとしてたんですが、そこからがなかなか簡単ではなかったですね。読み切りの作品を、ぼちぼち描いたり、描けなかったりという時期が5、6年ありました。そこを超えて開き直ったようなところで描いたのが、「子供はわかってあげない」だったんです。それまでは20ページくらいの短編がメインでしたが、いきなり「今、280ページ、17話くらいまで描き進みました」と言って編集者さんに驚かれました。