「自分はこういう人」という枷を脱ぐことで先に進めることもある
池ノ辺 監督にとって、この映画を通して一番伝えたかったことはなんでしょうか。
石川 映画を撮っている中で自分が一番思っていたのは、「自分はこういう人」「あなたはこういう人」、そういう“かくあるべき”というものを、当然のことだとしてみんな生きてますが、それってそんなに確実なものなのか、実はもっと曖昧なものなんじゃないかということです。
どんなに近しい相手でも、その人から「あなたはこういう人」と決めつけられてしまうとそれはその人にとってはすごく息苦しいことなのかもしれない。さらに言えば、「自分はこういう人間だ」と自分自身を決めつけていることも、自分を息苦しくしているのかもしれない。
でもそれってそんなにクリアな、確実なことじゃないんじゃないか。だったら一度、その決めつけや思い込み、“かくあるべき”というものを脱いでみてもいいんじゃないか。そういう思いやりとか想像力をみんなが持つことで、この世界のいろんなことは、もうちょっと上手くいくんじゃないか、そんな思いを持ちました。
池ノ辺 確かに、そんな鎧を身につけてしまっているために違う方向に行ってしまったり進めなかったりというのはありますよね。そういう意味では、特に若い人たちにとっては彼らを励ましてくれるような映画だと思いました。
では、最後の質問ですが、監督にとって映画とはなんですか?
石川 それって、よく聞かれるんですが、毎回ズバッと答えられないんですよ(笑)。この映画を撮り終えた今の時点での答えになるんですが、自分にとっては、変身願望みたいなものが映画を撮るモチベーションのひとつになっている気がします。
こうあったかもしれない人生を想像するとなんとなくストーリーになってキャラクターが動き出す。自分が子どもの頃にいろんな空想の世界で遊んだり、いろんなストーリーを考えていたのもそんな願望からだったと思うんです。
そうした願望はもちろん年を経るごとに変わっていって、スーパーヒーローになりたいとかサッカー選手になりたいといった夢から始まって、『ある男』に描かれるような今の自分じゃない別の人になりたい、という変身願望もあると思います。それは自分としては現実逃避とは思いたくなくて、先ほどお話ししたような、もっと前向きな感覚で捉えています。
池ノ辺 この映画は観終わった後で、あれこれみんなと語り合いたくなるような、私にとってはそんな映画でした。本日はありがとうございました。
インタビュー / 池ノ辺直子
文・構成 / 佐々木尚絵
写真 / 岡本英理
1977年生まれ、愛知県出身。ポーランド国立映画大学で演出を学ぶ。2017年に公開した『愚行録』では、ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門に選出されたほか、新藤兼人賞銀賞、ヨコハマ映画祭、日本映画プロフェッショナル大賞では新人監督賞も受賞。恩田陸の傑作ベストセラーを実写映画化した音楽青春ドラマ『蜜蜂と遠雷』(19)では、毎日映画コンクール日本映画大賞、日本アカデミー賞優秀作品賞などを受賞。また、世界的SF作家ケン・リュウの原作を映画化した『Arc アーク』(21)や短編『点』(17)がある。
弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から亡くなった夫「大祐」の身元調査という奇妙な相談を受ける。里枝は離婚を経て、子供を連れて故郷に戻り、やがて出会う「大祐」と再婚。そして新たに生まれた子供と4人で幸せな 家庭を築いていたが、ある日「大祐」が不慮の事故で命を落としてしまう。悲しみに暮れるなか、 ⻑年疎遠になっていた大祐の兄・恭一が法要に訪れ、遺影を見ると「これ、大祐じゃないです」と衝撃の事実を告げる。愛したはずの夫「大祐」は、名前もわからないまったくの別人だったのだ‥‥。「ある男」の正体を追い“真実”に近づくにつれ、 いつしか城戸の中に別人として生きた男への複雑な思いが生まれていく。
監督・編集:石川慶
原作:平野啓一郎「ある男」(文藝春秋刊)
出演:妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝、清野菜名、眞島秀和、小籔千豊、坂元愛登、山口美也子、きたろう、カトウシンスケ、河合優実、でんでん、仲野太賀、真木よう子、柄本明
配給:松竹
© 2022「ある男」製作委員会
公開中
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