池ノ辺 それでもまた監督を続けたのはなぜでしょう。
長澤 自分で本当にやりたくてというより、頼まれて断れなかったという方が大きいですね。人から何か頼まれるのが嬉しくて、僕ごときでよろしければ、必要としてくれているんだったら頑張ります、と謙遜でもなく本当にそういう感じだったんです。ですから、自分で作りたくて作った映画という意味では、今回の作品が、デビュー作以来の映画なんですよ。
池ノ辺 自分からこの島で何かを表現しようと思ったんですね。
長澤 最初はそういう感じではなかったんです。たまたま、山口で撮った映画の上映会が東京で行われて、その時に山口のケーブルテレビ局であるKビジョンの社長が来られていたんです。そこで社長から「映画はいいですね。うちも会社が25周年なんで何か作ってくださいよ。監督がやりたいものはないんですか」と問われて、「実はこういうことがやりたいんですよ」と話したのがこの『凪の島』の話なんです。
5分前には考えてもいなかったのに、作りたいという映画の世界観を滔々と語っている自分がいて(笑)「あれ? 僕はいつそんなことを考えていたんだ?」という思いと、「無意識の中で自分はこういうことをずっとやりたかったんだな」というのが交錯していて、とにかく不思議な体験でした。結局、Kビジョンは今回の映画の製作主体の一つになっていただいています。
池ノ辺 そういえば冒頭で、「小さな野外映画祭をやって、いつかここで映画を撮りたいから、本当に撮ることになった」と話してくださいましたよね。
長澤 だからあの時に何か、島の何か精霊みたいなのが憑いたんだと思います。これはもう必然だったんでしょうね。
池ノ辺 そうやって何かが降りてきて、この映画が出来上がったんですね。