婚約者にあっさりフラれ、人生最悪な時を迎えていた市役所職員・赤西民夫。横浜で一人空虚な日々を送る彼は、上司からの勧めで、飼い主に捨てられて保護犬になってしまった真っ白な大型犬を飼うことになってしまう。犬はワンと鳴けず「ハウッ」というかすれた声しか出せない。とびっきり人懐っこいこの犬を、民夫は“ハウ”と名付け、1人と1匹の優しくて温かい日々が始まった。
心優しい犬・ハウに寄り添うもう1人の主人公・民夫を演じるのは、話題作への出演が続く田中圭。そして、これまでも、動物をテーマにした作品を数多く発表してきた動物映画のレジェンド、犬童一心監督が、1匹の心優しい犬と、心に傷を負った1人の青年の絆を描き、新たな感動作を生み出した。
予告編制作会社バカ・ザ・バッカ代表の池ノ辺直子が映画大好きな業界の人たちと語り合う『映画は愛よ!』、今回は、犬童一心監督に、本作品でハウを演じるベックとの撮影時のエピソード、映画や予告編への熱い思いを伺いました。
オープンマインドから引き出す犬の“演技”
池ノ辺 『ハウ』拝見しました。ハウを演じた犬のベック、素晴らしかったんですけど、監督って猫好きじゃなかったですか?
犬童 そうです。特に犬が好きということはなかったんですけど、ベックと出会ってからは犬が飼いたくなってきました。
池ノ辺 ベックは初めての映画出演ですよね。
犬童 そうです。この映画が初めてで、その後も他に出ていないです。
池ノ辺 人間が演じているように、シーンによってちゃんと表情が違って見えました。
犬童 実際には、技術的なところからそういうふうに見えるように持っていったところもあるんです。例えば悲しい場面とか荘厳な場面とか、あるいは楽しい場面などそれぞれのシーンで、俳優やエキストラはそういうふうになるし、ライティングなどもそう見えるようにします。その場にベックを連れてくると、その場に対するリアクションをする。
全部の犬がそうなのかはわかりませんが、ベックはそのリアクションがちゃんとできるんですね。結果的にそれを編集していくと、物語に沿って演技をしているように見えるわけです。
池ノ辺 ベックに対しての演出はどうしたんですか。
犬童 前の日に一緒に脚本を読んで話し合ってですね‥‥
池ノ辺 ベックと?
犬童 冗談です(笑)、ドッグトレーナーの宮忠臣さんが脚本を読んで聞かせて、それを覚えてカメラの前に立つということも、もちろんなくて‥‥宮さんは全く逆だと言うのですよ。
池ノ辺 逆というのは?
犬童 脚本を意識しない。自分も脚本を読まずに現場に行った方がいいと。自分がどういうシーンを演じるか知ってしまうと、例えば悲しい場面だとか怖い場面だと宮さんが意識してしまうと、犬はそちらに引き摺られてリアクションしてしまう。そうではなくて、その場面でのまっさらなリアクションを引き出すためには、何を撮るかあらかじめ知らずにオープンマインドなところで、「さあ、ベック、遊びに行くぞ」という感じでその現場に連れて行くのが一番いいんだそうです。
それで例えば教会などに行くと、何か荘厳な雰囲気の中で聖体拝領や讃美歌が歌われている。遊びに来たはずだったのに、あれ? というところから、リアクションが自然に出てくるわけです。
池ノ辺 その場面や、演じる役者さんの表情とかを見てということですか。
犬童 見てというより、雰囲気を感じてるんでしょうね。ですから演技のつもりはなくて、リアクションなんですよ。
池ノ辺 それであの表情ができるんですね。
犬童 あとはベックの大きな特徴として、長毛だということがあります。長毛が便利なのは、毛が目にかかっているのといないのとで、ずいぶん表情が違って見えることです。この映画の中では、このシーンでは完全に目が見えているように、このシーンでは毛がちょっと目にかかるようにしようと、僕が撮影の前に決めて、使い分けています。
もう一つは角度。これはもちろん人間の俳優の場合もそうですが、どの角度から撮るかというのは、人間以上に重要なファクターになります。その角度で、その場面に合わせたニュアンスを出す。こうしたことの総体で、物語上での犬の存在の仕方というものを犬の演技というように見せていくわけです。
池ノ辺 そうしたことが編集によって演技しているように見えるということですね。
犬童 モンタージュですよね。例えば教会のシーンでは、ベックは毛が目にかからないようにして人越しに小さく撮っています。そしてベックは影の側にいて、一方女の子は光が当たっているところを歩いている。そうすると、あたかも物語の中で、犬が、「ああ、あの子だ」と女の子を見つけたかのようなシーンに見えてくる。ちょうど漫画を描くような感じですかね。
セリフがあるわけでもなく、マーロン・ブランドやアル・パチーノのような演技をするわけでもない。でも時に彼らを超えることもあるんです。
池ノ辺 本当ですね。それは感じました。