作品が生まれたがっているタイミング
池ノ辺 原作を読んだときは、まだコロナ禍じゃなかったと思いますけど、今の時代にすごくマッチしている作品だと思いました。
柴山 原作はコロナ禍より前の2016年出版で、僕が読んだのも2016年なんです。今でも通じるということは、普遍性が描かれているから、だと思います。新型コロナを通して、現場を通して、地域の人たちとの関わりを通して、見えてきたのは「助け合うことの大切さ」「人はひとりで生きていけない」ってことです。この物語と現実世界に共通する普遍性のひとつは、そこにあると思ってます。
さらに、物語で描かれるバブル期の頃は、特に「誰が上だ、下だ」という意識が強かったと思います。今も、その考えは根が深い問題として残ってると思います。ハラスメントの問題や、「マウント」という言葉も、人から支配を受けることの拒絶の現れです。「他人の干渉を受けずに、自分の決断で生きる」という願いも、この物語と現実世界に共通する普遍性だと思います。
池ノ辺 撮影がストップしたり公開が延期になったりして大変だったんじゃですか?
テレビは、今この瞬間を描いて広く伝えるジャンル。映画は、普遍性を描いて何十年残すジャンルと言われています。それでいうと映画が慌ただしく作られちゃうと力を持たないんです。映画って行きつ戻りつしないと、本当の普遍性を描けない。辿り着かない。だから、延期は悩める時間を与えてくれたので悪い面だけではなかったですね。
池ノ辺 今の状況で撮影が順調に進めるのは難しいですものね。コロナ禍じゃなかったら、生まれなかったっていうシーンはありますか?
柴山 ”必要な人、必要な言葉とは必要なタイミングで出会う”とか、よく言いますけど、撮影を待っている間に出会った言葉があるんです。原作にはないんですが「自分の心は騙せませんでした」っていう立花のセリフを追加しました。この言葉はCHAGE and ASKAの『HEART』っていう曲の歌詞で、”騙せない 離れない”という言葉が何回も出てくるんですよ。「これって立花が気づいたことなんじゃないか?」と思いました。慌ただしく撮影準備だけをしていたら、チャゲアスを聴こうとはならなかったですね。心の余裕というか、そういう時間があったからだと思います。
あと、僕は宮崎駿信者なんですけど、宮崎監督は”僕らが作品を作るのではなく、作品に作らされている。作品の奴隷になる”というようなことをおっしゃっているんです。おそらく映画が生まれる時代も同じで、2016年、20117年に発表すべきじゃなくて、作品が今のタイミングで発表してくれって言ってるような気がするんです。