Sep 17, 2021 interview

[ 映画は愛よ ! 特別編 ] 「なら国際映画祭」エグゼクティブディレクター河瀨直美監督と語る、次世代の才能の発掘への想い

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「自分はなぜ生まれてきたのか」その問いを原動力に

池ノ辺 一つお聞きしたいのですが、河瀨さんの映画とか世の中に対するそのエネルギーはどこから生まれるのでしょう。

河瀨 私が表現活動に携わるというのを始めたのが18歳、その時に自分の頭の中にあった疑問というのが、「なんで私は生まれてきたの?」なんです。それは結構小さい時からずっと抱えてきた疑問で、何か答えがあるようなものでもないだろうし、死ぬまで、というか死んでも答えはわからないんでしょうけれど。ただ、生かされている間は、死ぬ時に後悔しないような、そういう生き方だといいなという思いは最初からあるわけです。ですからしんどい道と楽な道が目の前にあったら絶対しんどい道を選ぶ。それから、人がやっていることはその人がやれているからいい、まだ人ができていないことをやった方が冒険みたいで楽しいし、たぶん無理だろうと思えるような壁を乗り越えた時に達成感を味わうことができる。

映画づくりはまさにその繰り返しで、映画1本撮るごとに、お金集めからはじまって、もうやめようと思うようなしんどいことがたくさんある。でもそれをやり遂げた時、それは初日を迎えた時のお客さんとの出会いだったり、それを見た人から涙ながらに「つくってくれてありがとう」と言ってもらえたりとか、そういう何がしかの、私が存在する意味につながるような答えが返ってきているような気がするわけです。そう考えると、なぜ生まれてきたのかの疑問が、自分の中では原動力になっているのかなと思います。

それともう一つ、奈良という土地に対する思いがあります。奈良はものすごく素晴らしい歴史や文化があるのだけれど、自分の時代は、逆に古すぎて、ここは何もできない街だと自分もみんなも思っているところがありました。だから才能があって何かをやりたければ、都会や、あるいは海外に出てやらなきゃいけないという感覚がありました。

結果的に日本が、奈良が、捨て置かれてしまっている現状があると思ったんです。でもそうじゃないだろうという感覚、思いが自分の中にあって、特に「なら国際映画祭」に関してはそれが大きいですね。ホタルじゃないですけど、都会はもう情報が多すぎて誰かが輝いていてもその光が見えない。でも奈良は暗いですから、誰かが輝いていたら見えるはずだ、光っていないと思うのは自分たちがまだ探し当てていないだけなんだろうと。1300年の歴史からしたら10年なんてまだまだひよこっこですけど、自分がこれまで映画づくりの中で培ってきたさまざまなスキルや関係性を、この故郷に、返していけたらいいかなと思ってやらせていただいています。