Oct 26, 2017 interview

第4回:人生を振り返る指針となるものが僕にとっての映画です。

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池ノ辺直子の「新・映画は愛よ!!」

Season18  vol.04 第30回 東京国際映画祭 フェスティバル・ディレクター 久松猛朗 氏

映画が大好きで、映画の仕事に関われてなんて幸せもんだと思っている予告編制作会社代表の池ノ辺直子が、同じく映画大好きな業界の人たちと語り合う「新・映画は愛よ!!」

10月25日に開催を迎えた、第30回東京国際映画祭フェスティバル・ディレクターの久松猛朗さんに、今回はロサンゼルスの映画館支配人時代のお話や、東京国際映画祭の対する想いなどを伺いました。

→前回までのコラムはこちら

池ノ辺直子 (以下 池ノ辺)

前回のお話では、劇場でお客様の反応を見続けたことが、久松さんの映画人としての礎になったというお話を聞きましたけど、他にも印象的な思い出はありますか?

久松猛朗 (以下、久松)

ロサンゼルスのリトルトーキョーにあった映画館の支配人をしたことですね。

当時、日系コミュニティ向けに映画館を作った人がいて、でも、運営がわからないというので松竹にデベロッパーが泣きついてきて、じゃあ誰か支配人で送るということになって、僕が行くことになったんですよ。

池ノ辺

日本の劇場から突然、海外の劇場に行っちゃったわけですね。

何を上映していたんですか?

久松

そこは、新作をかける200席ほどの劇場と、古い映画をやる劇場と、2スクリーンあったんです。

それはすごく勉強になった。

というのも、最初はなかなかお客がつかなくて、苦しかったんですよ。

池ノ辺

リトル東京ということは、日本映画の専門館 ?

久松

そうです。

日系コミュニティや日本映画が好きなアメリカ人に向けての。

池ノ辺

画期的ですね。

久松

ロサンゼルスやサンフランシスコには、現地のオーナーが運営する日本映画専門館が昔から何件かあったんですけど、だんだん衰退していてね。

名画座の方は自分で自由にプログラムを組めたんだけど、なかなかお客さんがつかない。

どうしようかなと思って、それで肚を決めて、全プログラム、自分が見たい映画を組もうと決めたら、お客さんがつくようになった。

池ノ辺

まあ!どういう秘訣があったんですか?

久松

もう、黒澤明特集、小津安二郎特集、時代劇特集、『男はつらいよ』シリーズの寅さん特集、『釣りバカ日誌』特集など、とにかく特集をバンバンやった。

そのおかげで僕はその当時、邦画をすごく見ましたね。

成瀬巳喜男特集とか人気でしたよ。

プログラムを決めてしまえば支配人って暇じゃないですか。

劇場の運営は劇場スタッフがやってくれるから、僕は時間が空くと、お客さんと一緒に映画館で映画を見ていたんです。

ハリウッドにいて邦画をどっぷり観ていたという変な話なんですね。

池ノ辺

でも、その頃、少年だったクエンティン・タランティーノとか見に来てくれていたかも。

久松

ダン・エイクロイドはよく見にきてくれていました。

ハリウッドのクリエイターたちもいたようですね。

池ノ辺

今みたいにソフトがふんだんにあったわけじゃなく、配信がある時代でもないから、劇場にくるしかないですもんね。

それで3年アメリカにいて、帰国して松竹に戻って、40歳の時に転機を迎えられるんですね。

40歳って、ちょうどいろいろ考える時期ですよね。

それでワーナー・ブラザースに移られたんですか?

久松

そうですね。

ただ、邦画の大手から外資系の映画会社に転職するケースとしては初めてだったんです。

上司だった人が怒って、「あいつの顔は1000日見ない」と言ってたそうです。

だから、ワーナーに移っても、表に出られない時期が半年間ほどあったんです。

池ノ辺

え~!そんなことがあったんですか !! その時には何をやっていたんですか?

久松

『インタビュー・ウイズ・ヴァンパイア』(1994)のプレミア試写のとき、来日したトム・クルーズのボディガードをやっていました(笑)。

ただ、真面目な話をすると、ワーナーのいままでのデータを渡されて、日本の映画興行のマーケットはどうなっているのか、その数字を分析、解析することを徹底的に勉強した半年でもありました。

今、振り返るととてもありがたい時間だったんですけど、当時は精神的にやばい状態で、人間ドックの健康診断の結果はボロボロでしたね。

池ノ辺

うわ~。

いろんなことがあったんですね。

『インタビュー・ウイズ・ヴァンパイア』の予告編は私が担当したんですよ ! 繋がってましたね。

ほかに、久松さんのワーナー時代の思い出の作品は何がありますか ?

久松

『シティ・オブ・エンジェル』(1998)かな。

池ノ辺

その予告編も私がやったんですよ !

久松

ありがとうございます(笑)。

音楽がとてもよかった予告編ですね。

池ノ辺

すみません、予告編の音楽に、本編に入っていない曲を使って。

今ではイメージソングとか言って、宣伝用に使用したりしますが、当時はそんな使い方はしなかったから。

久松

観客の皆さんはあの音楽が本編でも流れるんだと思ったらしく、問い合わせがいっぱいきたんですよ。

でも、あの作品はすごく印象に残っているんです。

というのも、僕が移った前後から、ワーナーって低迷するんです。

で、アメリカの本社から『シティ・オブ・エンジェル』の宣伝費の予算の見積もりを出せと言われて、こちらで見込みの収益がいくら、だから宣伝費はいくらと予測を立てて送ったんですね。

当時は、他の映画があまりあたっていない時だから、宣伝費に抑えた数字を出したら、本社のインターナショナルの社長から、「お前ら何をビビっているんだ。ここは金を使え」と言われたんですよ。

凄い新鮮な感覚でしたね。

池ノ辺

なるほど。

お金を使わないと大ヒットに結びつかないぞと。