池ノ辺直子の「新・映画は愛よ!!」
Season12 vol.02 株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 業務執行役員 映画部門日本代表 佐野 哲章 氏
映画が大好きで、映画の仕事に関われてなんて幸せもんだと思っている予告編制作会社代表の池ノ辺直子が、同じく映画大好きな業界の人たちと語り合う「新・映画は愛よ!!」 第2回は、上智大学の学生時代にアルバイトから日本ヘラルド映画(以下ヘラルド)の社員になられた佐野さんが映画業界に入ってからのご活躍を伺っていきます。
- 池ノ辺直子 (以下 池ノ辺)
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当時のヘラルドは勢いがありましたよね。
- 佐野哲章 (以下、佐野)
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フランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』もちょうどその時期に公開でした。米国では1979年だけど、日本は年明け1980年の2月でした。
『ゴッドファーザー』を観ていましたから、コッポラ監督がどれほどスゴい監督か知っていて、本物に会えることになったときは、本当に嬉しかったですね。
プロモーションのために来日した時、黒澤明監督にお会いするために東宝撮影所を訪問しました。
僕は通訳を兼ねてついていったんです。
僕としては、本当はコッポラ監督と話すだけでも、お金を払わなきゃいけないねってくらい、感激していたので、これはまさに役得ってヤツですね。
今でもその時の写真はもっています。コッポラと黒澤両監督の間に挟まれている写真。
ふたりの通訳をやっているから、図々しく僕が真ん中で映っちゃっている(笑)
- 池ノ辺
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すご〜い! それは素晴らしい経験でしたね。
おいくつのときですか?
- 佐野
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たしか23歳くらいです、楽しかった思い出ですね。
- 池ノ辺
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『地獄の黙示録』の買い付けにも関わられたのですか?
- 佐野
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いや、僕がヘラルドに入る何年も前から交渉は進んでいたんです。
プリプロダクション(撮影前にシノプシスや脚本だけで買い付けること)で買い付けていた。
当初は、カーツ大佐をスティーヴ・マックイーンで進んでいたんだけど、その後マックイーンが降板して、マーロン・ブランドが演じることになった。
コッポラ監督側は、主演俳優交代の許諾をとるために世界中の出資者に連絡をとったのだけれど、いちはやくOKを出したのがヘラルドの古川社長だった。それに追随して他の国も承認した。
僕は、あの映画が完成して、日の目を見たのもヘラルド映画のおかげじゃないかと思っているんです。
マックイーンでもいい映画になったもしれないけど、マーロン・ブランドもスゴかったじゃないですか!
- 池ノ辺
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素晴らしい映画でしたものね。
- 佐野
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あの映画は、ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』という小説が原案だけれど、コッポラ自身もあの映画の製作過程で“闇の奥”に入っていってしまった。
だから、あの映画は35㎜と70㎜ではエンディングが違うんですよ。
ちょっとネタバレになっちゃうけど、昔の映画だからいいですかね(笑)。
35㎜バージョンでは、マーティン・シーンが神殿を燃やして、船で去って行く後ろで炎上しているけど、70㎜では神殿を燃やさない。
- 池ノ辺
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それは宣伝のため?
- 佐野
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そうじゃないですね。
コッポラは編集に2年かけ、その後も2001年に完全版とか作っているくらいだから、いろいろエンディングに迷っていたんでしょうね。
日本公開当時は、70㎜での上映館はあまりなかったし、その告知もほとんどしていなかったら、その違いに気づいた人はあまりいなかったかもしれない。
もちろんコッポラのファンは両バージョン観てくれましたけどね。後からDVDじゃなくて、やっぱり大画面で観るのがいい。
ファンもわかっている。
- 池ノ辺
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ヘラルド時代は、そんな風にいろいろな面白いことがあったのでしょうね。
- 佐野
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山ほどありましたよ! 本当はできないのに、フランス語ペラペラだと噓をついて、社長のお供でカンヌ(国際映画祭)に連れていってもらったり(笑)。
高校時代2年間だけ学校で勉強したから、レストランで「バター下さい」くらいは言えたけど。
- 池ノ辺
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古川社長は、20代の佐野さんをとても可愛がったんですね。
- 佐野
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はい、先代にもその後の博三さんにも可愛がってもらいました。
- 池ノ辺
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ヘラルドでは宣伝部にもいらしたんですよね。
私も、ヘラルドさんの宣伝部にたいへんお世話になりました。
『ブレイクダンス』からですけど。
- 佐野
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じゃあ、僕がいた時代よりだいぶ後だね。
映画会社の仕事でも、宣伝と営業ではだいぶ違う。
映画の宣伝マンは自分を削っていく仕事。
でも営業マンは、経験を積めば積むほど年輪ができてくる。
そういう意味では、どんどん仕事を広げて行けた池ノ辺さんは素晴らしいね。
あなたの作った予告編を観て、どれだけの人が映画館に足を運んだと思う?
- 池ノ辺
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嬉しいことをいってくださいますね。
それを楽しみに仕事をしています。
で、佐野さんは、そんな楽しいヘラルドの仕事を止めて、ベストロンに映るワケですね。
- 佐野
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ヘッドハンターから連絡を受けたんです。
最初はビデオの会社として立ち上げて、映画会社をつくるというので、自分の人生で、こういうチャンスは何回あるだろうか、って考えて。
当時は、28歳と若かったから、オフィスもなかなか貸してもらえなくて、第11森ビルにやっと部屋を借りれました。
銀行口座も開くのに苦労したんですよ。
ヘラルド時代には、みんなにとても可愛がってもらっていたから、辞めるときには、ものすごく怒られて「もう出禁だ!」みたいにいわれたけど、それでも頑張っているうちにヘラルド時代の仲間が応援してくれるようになりました。
ベストロンで最初に手がけた作品がマイケル・ジャクソンの『スリラー』だったの。
のちにソニー・ピクチャーズ エンタテインメントで『THIS IS IT』をやったから、マイケル・ジャクソンには縁を感じますね。
でも、3本くらいコケて、融資が降りなくなって閉鎖。
- 池ノ辺
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それでアスキーに移られたんですね。
- 佐野
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そうですね。パトリック・スウェイジ主演の『ダーティダンシング』とかジェイミー・リー・カーティスの『ブルースチール』とか。
でも、アスキーも回らなくなって、ポリグラムという会社に行きました。
どうしても映画の仕事をしたかったから。
そして1年後にディズニー(ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ・ジャパン)に移ったんです。
ポリグラムに移るときもすでにディズニーから話がきていたんですが、ディズニーには僕しかいけない。
でも、ポリグラムには部下をふたり連れていかれたので、まず、ポリグラムに行った。
その後も一緒にいった人たちは、ポリグラムに馴染んでくれたようなのでよかったです。
- 池ノ辺
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スタッフにまで気配りできる方は、最近あまりいないので、そういうお話を聞くと感動しますね。
(文:立田敦子、写真:岡本英理)
『バイオハザード:ザ・ファイナル』
カプコンが誇る世界的人気ゲームを、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演で実写映画化した『バイオハザード』シリーズの最終章。
監督・脚本:ポール・W・S・アンダーソン 出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ、アリ・ラーター、ショーン・ロバーツ、ルビー・ローズ、オーエン・マッケン、ローラ、イ・ジュンギ、ウィリアム・レヴィ、フレイザー・ジェイムズ、イアン・グレン、エヴァ・アンダーソン ほか
2016年12月23日(金・祝)より世界最速公開。
PROFILE
■佐野哲章(さの のりあき) 株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (業務執行役員/SVP 映画部門 日本代表)
1957年生まれ。1979年に日本ヘラルド宣伝部に入社。国際部・関西営業部を歴任。 1987年-1992年、ベストロン映画アジア地区代表取締役を経て、1992年アスキー・ピクチャーズ社長に就任。1994年にポリグラム極東地区担当マネージング・ディレクター、1995年にウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン(株) 旧ブエナビスタインターナショナルジャパン日本代表を経て現在に至る。2005年11月16日株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 業務執行役員/SVP 映画部門 日本代表に就任。