池ノ辺直子の「新・映画は愛よ!!」
Season11 vol.04 東京国際映画祭・事務局次長 井原敦哉 氏
映画が大好きで、映画の仕事に関われてなんて幸せもんだと思っている予告編制作会社代表の池ノ辺直子が、同じく映画大好きな業界の人たちと語り合う「新・映画は愛よ!!」 第4回は、さまざまな映画会社で宣伝プロデューサーとして活躍されてきた井原さんの、これまでの映画人生についてお話を伺っていきます。
- 池ノ辺直子 (以下 池ノ辺)
-
前回までは東京国際映画祭でのお仕事のお話を中心に伺ってきました。
映画祭に新しい風を吹き込んできた井原さんですが、そもそも、なぜ映画業界に入ったのか、そこから教えていただけますか?
- 井原敦哉 (以下、井原)
-
時代の流行やブーム、ひいては文化をつくる仕掛け人になりたかったんですよ。
- 池ノ辺
-
かっこいい~!!
じゃあ、映画じゃなくてもよかったの?
- 井原
-
はい、 映画はもちろん好きでしたが、当時はファッションや音楽も好きでしたし。
- 池ノ辺
-
最終的に映画に行ったのはどうして?
就職活動にひっかかったのが、映画だったとか?
- 井原
-
う~ん、そうですねえ。自分からダメにしちゃったのかなぁ。
- 池ノ辺
-
面接をダメにした?
いったい何を?
- 井原
-
あるファッション関係の最終面接に30分以上遅れて行ってしまって。
- 池ノ辺
-
なんで?どうして?
- 井原
-
なんか、家でばっちりとシャツにアイロンかけてたら、遅刻しちゃったんです(笑)。
- 池ノ辺
-
それはダメですよねえ(笑)
- 井原
-
面接室に到着したら、自分の札が逆さになっていて。
でも一応、面接はしてもらったんですよ。
のうのうと質問に答えました。
「今日は何点?」「遅刻したから0点です」「遅刻しなかったら?」「100点です!」って、若いでしょ。
- 池ノ辺
-
そして最終的に面接に通って行きたかったのが、GAGAだった?!
- 井原
-
当時のGAGAは破天荒で面白そうでした。
1993年にGAGAに入社して1999年まで勤めました。
GAGA時代から、池ノ辺さんと一緒にお仕事していましたっけ?
- 池ノ辺
-
私、井原さんのGAGA時代はご一緒していなかったと思う。
最初に予告編を作らせてもらったのが、『恋のゆくえ /ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』なの。
まだうちの事務所の名前が池ノ辺事務所だった頃、芝大門のマンションに事務所を構えていて、道路挟んで、GAGAの会社があったのね。
打ち合わせは歩いて5分で行きました。
懐かしい思い出だわ。
- 井原
-
いい作品でしたよね。
- 池ノ辺
-
そうなの。
GAGAはどんどん質の良い作品を打ち出して、会社も大きくなって、気づいたら六本木に移転していっちゃった。
井原さんは、その頃に入社されていたのですね。
- 井原
-
そうですね。
入社1年目で、たしか『マスク』かな。
その後、アシスタント・プロデューサーになって『セブン』や『ゲーム』とかの宣伝をやっていましたね。
- 池ノ辺
-
宣伝を担当された映画の数は、相当な数でしょうね。
特に印象に残ってる作品を教えてもらえますか?
- 井原
-
やっぱり一番印象的だったのは『セブン』かなぁ。
『セブン』は顧問弁護士のルートも含め、ブラッド・ピットに6方向からアプローチしてようやくロスの彼専用のトレーラーで個別インタビューを敢行しました。
おみやげにビデオプレイヤーを日本から持って行って、ものすごく喜ばれたんですけど「お金持ちなんだから自分で買ってよ……」って思ったり(笑)。
インタビューは綱渡りで、現地に行っても取れる取れないはハッキリせず、レストランにカメラマンを忍ばせたのですが、警備員に見つかり、せっかくのフィルムを抜かれて捨てられたり、某TV局のディレクターと駐車場で取っ組み合いのけんかになったり、自分で新聞の元原稿を書きあげてAP通信に深夜に乗り込み日本に電送したりと、誰にも頼れず何も決まりの無い道を切り拓いていくような宣伝に体を張っていました。
- 池ノ辺
-
その頃はもう宣伝プロデューサーだったの?
- 井原
-
『セブン』の時は、まだアシスタント・プロデューサーでしたね。
でもヒットした作品はやっぱり覚えていますね。
- 池ノ辺
-
ですよね。
やっぱり苦労した作品でも、ヒットすると報われるし、社会に何かを提供できたって記憶に残りますよね。
ただ自分たちが苦労したということって、意外と覚えていなかったりしますよね?
- 井原
-
そうですよね。
そういうことで言うと、やっぱり、ミスター・ビーンの初期の作品『ビーン』は印象深いですね。
映画は正直TVシリーズに比べてものすごく面白くなかった。
アメリカの手にかかるとイギリスの毒々しさが消されて本当につまらなくなるんです。
ビーンがいい人になったりして。
ありえないです。
もNHKがしっかりと『Mr.ビーン』をTV放映していた頃でそのブームを踏襲するのが正しいと決めて、宣伝はスタートしました。
ローワン・アトキンソンのあの顔がアイコン。
たくさん流布しましたね。
来日は2月3日の節分の日に設定しました。
豆=ビーンというダジャレもあるのですが、豆まきのシーンは首相やお相撲さんなど必ずパブリシティになりますからね。
そんな発想でした。
来日時は本当に見たことないくらいのTVカメラが来て大変でした。
彼は無類の車好きで国際A級ライセンスを保持していて世界中すぐに車が運転できるので、その特異さを使ってオープニング入場シーンをこしらえたりと、これまでになかったプロモーションを沢山やりました。
- 池ノ辺
-
それは忘れられないわね。
それでは次回は、井原さんが6年勤めたGAGAをお辞めになって、アスミック・エースへと転職されたことから引き続きお話を聞いていきたいと思います。
(文:otoCoto編集部、写真:岡本英理)
第29回 東京国際映画祭
日本の映画産業、文化振興に大きく寄与してきた映画祭で、国際映画製作者連盟公認としては日本唯一の国際映画祭。今年は日本映画の特集上映では、アニメーション作品『バケモノの子』を監督した細田守の特集や、黒木華主演の最新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』で日本映画として約12年ぶりに実写長編映画を手がけた岩井俊二監督の特集企画が決定。
11月3日(木)まで開催中。 会場:六本木ヒルズ、EXシアター六本木ほか。
PROFILE
■ 井原 敦哉(いはら あつや) 公益財団法人 ユニジャパン 東京国際映画祭 事務局次長
1968年、長崎県生まれ。1993年に明治大学を卒業後、株式会社ギャガ・コミュニケーションズに入社。パブリシティ、宣伝プロデューサー業務に従事。99年にアスミック・エース エンタテインメント株式会社に移籍、宣伝部長を務める。2007年に株式会社角川エンタテインメントに転籍し、宣伝部長として、ハリウッドのドリームワークス作品を手がける。10年に角川映画の宣伝部長、11年角川書店と合併し、映画営業局局次長兼映画宣伝部長に。12年公益財団法人ユニジャパンに出向、東京国際映画祭事務局次長に就任、現在至る。