1912年(明治45年)、ストックホルムではじめてオリンピックに参加した日本人・金栗四三(中村勘九郎)と、1964年(昭和39年)、日本にオリンピックを招致した田畑政治(阿部サダヲ)のふたりを主人公として描く大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜」(日曜よる8時〜)。 現在、主に明治の金栗のことを中心に描いているところで、同時代に生きた落語家・古今亭志ん生(ビートたけし)の若き頃・美濃部孝蔵を演じているのが、森山未來だ。走ることに魅入られた四三と同じく、美濃部は落語に魅入られて修業中。 3月31日(日)放送の第13回「復活」は、この三ヶ月の放送のなかでも神回になりそう。孝蔵(森山未來)が語る落語「富久」と、オリンピックで走る四三(中村勘九郎)との重なり合いによって、ふたりの人生が重なっているような印象を受けるような名シーンになっているという。その放送を前に、森山未來にインタビューした。
──のちの志ん生、美濃部孝蔵を演じる上で意識していることを教えてください。
志ん生は、“落語の神様”と呼ばれているだけあって、出演したラジオの音源やレコード、テレビの映像などの資料がたくさん残ってはいますが、あいにく晩年のものばかりで、戦後、満州から帰ってきた60歳前後やそれ以前の明治、大正の頃の志ん生がどうだったかを知る手立てがないんです。若い頃の自分を語っている自伝的な本はあるのですが、そこは噺家らしくかなり話を盛られているようで、名前を変えた回数も生まれた年も記録によってまちまちだし、なんなら自分の母親の名前までまちまちで(笑)。円喬に弟子入りしたという話も、実は違うっていう説も濃厚で……。そんな状況なもので、若い頃の志ん生を知っていた方々の文章などから人物像を推測するしかなく、とにかく志ん生について書かれた本を読みました。でも、そもそもぞろっぺいな奴と言われていますが、ほんとうにそうだったのかもわからないんですよ。酒をたくさん飲んで散々しくじっていたとしても落語だけはちゃんとやっていたわけで。師匠の円喬のようなしっかりした落語を実は好んでいたとも言われますから、あえて真逆なやり方を選んだのかもしれないですよね。誰かが書いていましたが、よく志ん生と並び語られる桂文楽が楷書ならば、志ん生は草書のようだって。それも極端な草書。志ん生がほんとに憧れていたのは円喬であり、文楽であるとすれば、初期の頃は、硬い喋りでうまいけど面白くはない、というふうにやったほうがいいかのなとも考えました。考えたところでできないんですが(笑)。
──晩年の志ん生役・ビートたけしさんの演じる志ん生は意識していますか。
松尾スズキさん演じる円喬に弟子入りして落語を勉強した結果、ビートたけしさん演じる志ん生になるという謎の流れの間にあって、すごく光栄ではあるものの、僕自身がどうあるべきかさっぱりわからなくて(笑)。最初は、たけしさんに寄せたほうがいいのかなと考えましたが、たけしさんと僕は育ってきた環境が違います。たけしさんは志ん生と同じ東京生まれ。志ん生は神田で、たけしさんは浅草。そのうえ、お母さんの影響で子供の頃から落語をすごくよく聞いていらしたそうです。一方、僕は関西の生まれで、落語もさほど詳しくありません。すでに土台からして乖離しているから、どうしようかと悩んだ末、一度、たけしさんの撮影を見学に行ったところ、髪の毛はいつも通りの金髪だし、思った以上にたけしさんはたけしさんとして志ん生をやっているという印象を受けたので、僕も気にしないでいいかなと思い直しました。それよりも、明治、大正時代を生きた “生き証人”的な部分と、狂言回し的なポジションを与えられていることのほうを強く意識してやっていこうと。孝蔵のエピソードがひとつひとつ楽しいので、そこにただ乗っかっていけばいいかなと思ってやっています。
──ナレーションもやっていらっしゃいますが、孝蔵とナレーションは演じ分けていますか。
孝蔵を演じるときは、ナレーションのことはとくに気にしていません。ナレーションは、今回監督として参加している大根仁さんと以前にやった『モテキ』がモノローグのすごく多い作品で、そこで鍛えられたことが生かされているように思います。