役者を目指したきっかけ、衝撃を受けた芝居
──最初に俳優を目指したきっかけを教えていただけますか。
ロバート・デ・ニーロに夢中でしたね。マーティン・スコセッシ監督と組んだ『ミーン・ストリート』(73年)や『タクシードライバー』(76年)、『レイジング・ブル』(80年)とか『グッドフェローズ』(90年)は最高ですよね。あとアル・パチーノ。『ゴッドファーザー』や『セルピコ』(73年)、『スカーフェイス』(83年)あたりからはすごく影響を受けていると思います。高校生になってからは北野武さんの作品や、クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』(94年)を観て、自分も監督をやりながら俳優をやってみたいと思うようになって、それで上京しました。
──ご自身が出演して監督も務めたいというお気持ちは、いまも続いてらっしゃいますか?
続いてません(笑)。監督って本当に大変ですよ。いろんなことに精通していないといけないし、瞬時にいろんなことを判断していかないといけません。僕は大勢で食事に行った時に、食べたいものを全部頼んで皆とシェアするタイプで、ひとつを選べないんです(笑)。それに、俳優という職業は奥深くて片手間ではできませんから。両方やれる方は特別な方ですよ。でも、これからは俳優として企画の段階から関わっていきたいと思っています。チャウ・シンチーの『カンフーハッスル』(04年)が好きなので、とってくっつけたようなCGのドラマや映画を作りたいとか、年齢的にも厳しくなってきたので、一日でも早くボクシングや格闘技を生かした作品を作りたいとか。なんてことをいろんなところで言っているんです。そしたら誰かが賛同してくれるかもしれないじゃないですか。台本をもらって現場に行くだけじゃなくて、企画の段階からガッツリと携わったうえでお芝居をするというのは、僕にとって、とても大事なことになっていくと思います。
──役者として影響を受けた人物を教えていただけますか。
挙げたらキリがないですよ。いまでもいろんな方から受けてますから。でも、とくにゲイリー・オールドマンからは多大な影響を受けたと思います。あと、ものすごく衝撃的だったのが、無名塾に入ってすぐに渋谷の映画館で観た『鮫肌男と桃尻女』(99年)の浅野忠信さんのお芝居。「無名塾で勉強している芝居とは真逆だ」と思ったんです。その時にとても焦ったのを覚えていて(笑)、それ以降も浅野さんのお芝居からは大きな影響を受けました。