――松林監督と会うと確かに柔らかな空気が流れるし、映画でも象徴的な役で出演されていますよね。思えば、脚本を作る段階から凄く準備をされていましたよね。私も一昨年くらいに途中の脚本を読ませて頂きましたが、どんな方向性に向かおうと考えていたのですか。
松林:撮影スタートが2023年2月14日でしたが、脚本に1年かけました。葛籐や不安などを全部織り込んで綺麗にまとまったのではないかと思っています。本当はもう少しブスブスと刺す『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007) のようなぶったぎるような作品にしようとしていたんです。でも、【対話をする】という方向性に落ち着きました。復讐するという部分が実は一番、悩んだんです
――その場合、全く違う展開になっていましたよね、どうしてやめたんですか。
松林:主人公である【のえる】が【田川】を川に投げたりするようなことも可能性としてはありました。でもそんな稚拙な復讐の仕方では「社会が変わらないし、これではヒーローものや水戸黄門になってしまう」と考えて、対話の方向にさせて頂きました。
――そうなんですね。だから私はこの映画のラストに希望を感じたんだと思います。山口さんはこの映画に出演して新たな気づきはありましたか。
山口:撮影当時は【のえる】に似ている部分がありました。というのも何だかモヤモヤした気持ちとか、わからないけどわかってもらいたい気持ちというのを感じとって欲しいというのが自分の中にありました。それが「ちょっと子供だったのではないか」というのをこの作品の【のえる】を観て思いました。色々と調べて自分の言葉で言えるというところまで作り上げてから、人と接するべきだということを【のえる】から学びましたね。
――確かに映画を観た率直な感想は、山口さん演じる主人公【のえる】の心の解放、【のえる】が前を向くために必要な行為であり、何より“救済の大切さ”を強く感じました。映画では、映画界の悪質な部分も描かれていますが、この映画を撮影した上で、お2人が思う風通しの良い映画界にする為に、どうすればいいと思いますか。
松林:私は0から1を作る、自分で企画して作る作品が今作で3作目になりますが、外部のスタッフさんを雇う、外部の方がいらっしゃる時はもう少しゆとりが欲しいとは思います。ゆとりというのは、時間の制限もそうですが、役者さんやスタッフさんと誠実に話し合えるという環境が、風通しになるのではないかと。“全てを健全に”というのは、やはり難しいと思うんです。でも「対話をする」のはすごく大事だと思います。
山口:「皆、人間だ」と思えばいいと思います。小さい頃からこの業界に居るので「大人にならなきゃ」と背伸びをしていました。グッと頑張るみたいな感じで(笑)。大人に対しても構えていて。でも最近、その気持ちがほどけてきていて、「皆、ヘンテコなところあるよね」「皆、人間だよね」「もしかしたらこの人、今は威張っているけど家では泣いているかも」など色々と思うようになったら「人に優しくなれるかも」と思うようになりました。だから皆さん「自分がやられたら嫌でしょ」って気持ちを持って欲しいです(笑)。
――本当に‥‥。最近観たドラマ「不適切にもほどがある!」で「女はみんな、自分の娘だと思え」という言葉があって凄く響きました。
山口:あの言葉、響きますよね。やはり上下とか見てしまいますが「上下はいらない」とは思います。
松林:本当にそうですよね。性別などの区切りなく、その人自身を見ることが大事ですよね。
山口:そうして欲しいです。