―― まるで島でゆるやかな映画を作っているようにも聞こえますね。
本当に(笑)。お化けなどの怖いものって暗闇の中で出て来るイメージですよね。だけど今回の撮影では、海辺で、しかも炎天下の中で恐怖シーンを撮影したりしていたので、凄くシュールな感じでした。“こんな炎天下で穏やかな海辺に何かが居る?”という感じで不思議な気がしていました
空き時間にはお出掛けする機会もあって、本作にも登場する【ユタ神様】みたいな方が奄美にもいらっしゃって【ノロ(祝女)】と呼ばれる巫女さん的な方に私もみてもらいました。
―― どうでしたか。
(笑)聞きたいことがあったら、それに答えてくれるんですが、過去生(前世)みたいなものも教えて下さいました。私と生駒ちゃん、平岡さんの3人で行ったのですが、私は楽しいエピソードが全然なかったんです。結構辛い過去が多くて‥‥。生駒ちゃんや平岡さんは守護霊のこととか聞いていましたね。その他にも仕事や恋愛、結婚など色々と聞いていました。
にわかに信じられない話なのですが、生駒ちゃんと私は過去生で双子だったそうです(笑)。『牛首村』(公開:2022年)でも描かれていますが、当時双子は不吉なものと思われていて、その時代に双子として生まれた私たちは離れで暮らしていて、毎日一人ずつ外に出されていたそうで、一人(同一人物)として育てられていたそうです。
―― 悲しいですね。でも本作の清水崇監督の前作『牛首村』にちょっと繋がりがあったのには驚きですね。
私たちは職業も伝えてないし、誰の作品で何の撮影に来ているとも話していない状態で視てもらったので、本当にビックリしました。清水監督にはご縁を感じずにはいられません。
―― ホラー映画は新人俳優の登竜門とよく言われていますが、その理由は感情の起伏が激しい役を演じられる勉強になるからだとも言われています。
どうでしょう‥‥、これまでの村シリーズに比べて年齢がちょっと上がってアダルトになっているので(笑)。確かに私は悲鳴担当なところもあり、監督から悲鳴の指導がありました。あのお風呂のシーンは本当にアナログな撮り方をしているんです。実は手を出す本人が私の隣にこっそり居て、2人で浸かりながら撮影していました(笑)。
―― 本当にアナログの撮影方法で頑張っていたんですね。
予告とかを見ると最新の技術を使っている印象を持たれると思うんですけど、凄く撮影はアナログでした。もちろん、CGも使っています。でも髪の毛が少し垂れているところとかも手作業で、ホラー担当の助監督さんが髪の毛の量や巻き具合などを清水監督に確認しながら撮影を行っていました。ホラーメイクなども見ることが出来たので、そういう意味では本当に面白かったです。特殊メイクファンの人にも楽しめる映画になっていると思います。
―― 多摩美術大学では映画を専攻されていたとお聞きしました。そこを専攻された理由を教えて下さい。
私は高校生の頃まで杉並児童合唱団に入っていました。13年間ぐらい所属していたのですが、外部のお仕事も引き受けるなど、少し特殊な児童合唱団だったんです。その為、学校の行事もほとんど参加することが出来なかったんです。事務所ではないのですが、お仕事的なことは昔からやっていました。色々な経験をさせていただいた感謝はもちろんありますが、当時の私には窮屈になってしまって。一度表現すること自体をやめたくて“海外留学をしよう”とも考えていたんです。
そんな時、私と同じように仕事をしていた友人が「嫌な時期もあったけどこれからも続けようと思う」という話を聞いて、私も“逃げるのは違うな”と思ったんです。高校3年生で皆も進学先や進路も決まった時期だったのですが、今から通える範囲で表現をもっと追求できる学校を探すことにしました。結果的に私が通ったのは多摩美術大学の夜間部なのですが、見学に行った時、校門をくぐった瞬間に凄い気を感じて、その瞬間「この大学に通う」と決めました(笑)。
―― 今、役者を続けていて自分が足りないと思うところと誇れるところを教えて下さい。
何もないと思うくらい足りないところだらけだと思います。ただ、足りない自分を愛せるようになりたいと思っています。昔から女優さんや俳優さんになりたくて仕事をしている人とは少し違うルートで私はこの場に来ました。20代前半の頃は色々と気持ちの面で整理がつかない部分もありましたが、最近やっと素直に誰にでも「私はお芝居をするのが好き」と言えるようになりました。自分自身にとって凄い変化でした。
俳優というのはその人の生き方がもろに出てしまう、隠しても映ってしまう、感じられてしまう特殊なお仕事だと思うんです。“俳優としてどうしたい?”というよりは“私自身をどうしていくか?”が凄く大事なことではないかと思っています。今は完璧ではない自分を少しでも好きになりたい。そういう段階のゾーンに居ます。