―― 『映画 めんたいぴりり〜パンジーの花』では色々なエピソードが描かれています。富田さんが一番印象に残っているシーンを教えて下さい。
【おとうちゃん(海野俊之:博多華丸)】の二重跳び!あれは凄かったです。下駄を履いて、リアルで二重跳びをするって凄いと思いませんか。【次男:海野勝】が「二重跳び、100回ぐらいやったら?」と言ったら「おう、そうか」と言って二重跳びの練習をするシーンがあるのですが、【おとうちゃん】は本当に二重跳びを下駄でやっているんです。普通は出来ないですよね。簡単に二重とびを跳んでいる【おとうちゃん】は私の中で推しポイントです(笑)。
それに縄跳びも跳びやすい縄ではなかったと思います。今の縄跳びではなく、もう少し反応の悪い当時の縄跳びを使用していたと思います。【おとうちゃん】ブラボーです(拍手)。もともと【おとうちゃん】は、身体能力がもの凄く高いのですが、まさか下駄で二重跳びが出来るとは思っていなかったです。本当にサクってやっていて“【おとうちゃん】は50を過ぎてもまだ伸びしろがある”と【おかあちゃん】は感激していました(笑)。
―― 『めんたいぴりり』は温かな気持ちにさせてくれる作品ですよね。
私の家族も『めんたいぴりり』をとても楽しみにしていたので、今回『映画 めんたいぴりり〜パンジーの花』が公開されて凄く嬉しく思っています。
―― 富田さんの出演作と言えば12万7000人の中からオーディションで選ばれた『アイコ十六歳』(1983)をまず思い浮かべます。その後も大林宣彦監督の『さびしんぼう』(1985)、市川準監督の『BU・SU』(1987)など多くの作品にご出演されています。映画の現場での立ち方などご自身の中で身についたきっかけなどあれば教えて下さい。
身についているかどうかもよくわからないです。大林宣彦監督も市川準監督もお優しい方で、私自身はあまり何も考えずに好きに演じていたような気がします。
『さびしんぼう』での大林宣彦監督は、いつも撮影の時に「おう、おはよう」と毎回握手をして下さるんです。どんな時も好きに演じさせてくれていて、いつの間にか映画になっている感じがしていました。おかげで芝居をしているという感覚が当時はなかったです。自分の年齢がまだ若かったせいもあると思いますが‥‥。
『BU・SU』の時は「私(富田)にあまり話しかけないようにしてあげてね。話しかけると無理に答えないといけないから、そっとしておいてあげてね」と市川準監督がスタッフの皆に話して下さっていたそうです。そう考えると、あの頃は“何かを作った”というよりも“いつの間にか映画が出来ていた”という感覚でした。
―― 『さびしんぼう』を観た時、尾道3部作(大林宣彦監督作:『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』)にすっかり魅了されて、「絶対に尾道へいつか行こう!」と思いました。
嬉しいです。特に『転校生』(尾身としのり&小林聡美出演 / 1982)は私も大好きです。そういう作品に自分が出演出来たことが本当に“ありがたい”と思うと共に芝居をした感覚もなく“あっと言う間に映画になっている”というあの特有な感覚が懐かしいです。それこそ、10代のあの時にしか出来なかったことを監督たちが上手く救ってくれて、スクリーン(映像)に残してくれたことに感謝しかありません。今は色々なことを覚えてしまい、あの時のような芝居はもう出来ないですから‥‥。
―― 10代の頃に思い描いていた未来と今(現在)は変わっていますか。
“こんなはずじゃなかった”という気持ちの方が強いです。こんなにも長く役者を続けているとは思っていませんでした。10代の頃は大人の女優というものを描けていなかったんです。でも気づいたら当時とあまり考え方も変わらず、相も変わらずお芝居が出来ているのはラッキーだったと思います。もちろん、 “苦しい、しんどい”と思った時もありました。でもその時に“私はお芝居が好きかも…”とふと思ったんです。苦しい時に改めてフラットな気持ちになれたので、そこからは楽しかったです。