―― 伊東さんは、紀里谷監督に対してどんな印象を持たれていますか。
伊東:紀里谷監督とは東宝撮影所で初めてお会いしたのですが、撮影所の入り口前でマネージャーさんを待っていたらオープンカーが入って来たんです。それを見て“わ~、東京にはオープンカーに乗っている人が居るんだ”と感激したんです。そしたらそのオープンカーに乗っていらしたのが紀里谷監督で、“オープンカーに乗っていた人”それが第一印象でした(笑)。
紀里谷:(笑)
―― お仕事を一緒にされた印象はいかがですか。
伊東:コロナ禍だったこともあり、撮影に入る前から常に「コロナに気を付けようね」と連絡をくださっていました。撮影中も「大丈夫?」と心配して常に気を遣ってくださるので愛情を感じていました。大変なシーンも多かったのですが“監督と一緒に撮影をしている”という意識を常に持つことが出来ました。劇中の【ハナ】と同じように、ひたすら一生懸命、撮影に挑みました。
―― 映画を観ているうちに【ハナ】の状況に自分がなっていく感覚を味わい、「自分だったらどうする?」という問いを持ち帰りました。脚本を読まれた時の感想を教えて下さい。
伊東:“ひとりじゃない”が私の最初の印象です。
頭の中でどんな映像なのか想像することが出来なかったのですが“ひとりじゃないよ。大丈夫だよ”と言われているような気が凄くしたんです。だからこそ【ハナ】として“この世界を実際に見たり、体験したい”と思いました。
―― 愛に溢れた作品ですよね。紀里谷監督がこの作品を作りたいと思った理由を教えて下さい。
紀里谷:僕は『ラスト・ナイツ』(公開:2015年)の頃から、とにかく絶望していたんです。映画にも自分自身にも絶望していたし、社会にも絶望していました。ありとあらゆるものに絶望していて、死んでしまおうかとも思った時期もありました。そこから時間が経ち、今回の脚本の初号をあっと言う間に書き上げることが出来たんです。何故出来たのかと言うと、言いたい事が明快だったからです。【ハナ】の視点は僕の視点でもあるし、ある人物の視点も僕の視点です。【ハナ】が抱えている絶望は僕も抱えている絶望であり、僕の憶測になりますが、若者だけでなく多くの人たちが抱えている絶望でもあるという確信もありました。でもその絶望を誰も言うことが出来ない。言ってしまうとまた自分は孤独になってしまう。非常に孤立した社会が出来上がっていて、誰も自分が言いたいことを言えない社会になってしまっている。そんな社会で今の若者や子供たちはどう思っているのだろうか。僕ならそれを言葉にも出来るし、作品として発表することも出来る。そのすべがない子供や若者はこの状況をどう感じているのか。未来はどうなっていくのか。この疑問がこの作品の起点になりました。
―― 多くの人達が抱えている想い(絶望)だと思います。この映画を観た時、言葉では伝えられない“ひとりじゃないよ”という想いが伝わってきて、多くの人に観て欲しいと思いました。
紀里谷:先ほど、蒼ちゃんも言っていましたが「ひとりじゃない」ということは、それを信じることが出来るのか、出来ないのか、だと思うんです。歌手の人たちも歌を通して「ひとりじゃない」と歌っています。でも頭では理解出来るんだけど、実感するのはなかなか難しいんじゃないかと思うんです。
もうひとつ言えることは「ひとりじゃない」と思い込んでいる自分も居るということです。それは自分が他人を受け入れられないからです。映画では【ハナ】の「ひとりじゃないんだ、私は」という描写で集約した想いを描いています。そこから色々と感じてもらえると嬉しいです。
―― 伊東蒼さんは【ハナ】と同じ世代です。社会に対して生き辛さを感じている高校生役を演じていかがでしょうか。
伊東:私自身は比較的、楽観的というか、ポジティブに物事を考える性格です。だから自分自身は、社会に対して生き辛さを感じたり、考えたりすることがないんです。でも多くのことを考えるタイプの友人は居ます。その子がコロナや進路など、色々なことがあって弱ってしまった時、私が出演した作品を観て「ちょっと元気でた」と言ってくれたんです。いち友人として出来ることもありますが、その時、私だからやってあげられることも中にはあると思いました。会ったことがない人でも友人と同じように私の出演した作品を観て、元気を出してくれる人が居るのではと感じたんです。自分が演じることの意味というか、やって得られる喜びはそこにもあると思いました。
―― 死生観などに変化はありましたか。
伊東:もともと私は死生観について考えたことがないんです。この作品の撮影が終わってからも「死にたい」という感情になったり、そう考えてしまうほどの大変な出来事に出会っていません。だけどそうやって考えて、考えて、亡くなってしまう人もいらっしゃる中で“自分に出来ることは何か”と考えることは、多くなりました。大きなことではなくても、横に居る、いつも一緒に居る人に気持ちをちゃんと向けることで、ちょっとずつ相手は変わっていくということをこの作品を通じて感じました。これからも周りの人と向き合い、ちゃんと気持ちをぶつけていきたいと思っています。