Feb 18, 2021 column

33:マイケル・ジャクソンと『スペースチャンネル5』

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業界のプロフェッショナルに、様々な視点でエンターテインメント分野の話を語っていただく本企画。日本のゲーム・エンターテインメント黎明期から活躍し現在も最前線で業務に携わる、エンタメ・ストラテジストの内海州史が、ゲーム業界を中心とする、デジタル・エンターテインメント業界の歴史や業界最新トレンドの話を語ります。

32「マイケル・ジャクソンから突然電話がかかってきた」はこちら

マイケル・ジャクソンとのミーティングの後、ホテルの外に出てすぐ”スペースチャンネル5”を統括している、スタジオヘッドの水口哲也に電話をしました。私はニューヨーク、水口氏は東京です。彼とは当時から仲が良く、色々な相談をできる関係でしたが、私の「マイケルが”スペースチャンネル5”に出たいと言っているけど、考えてくれないか?」という第一声に彼はしばらく沈黙していました。私からの問いかけに彼は頭の中で考えを瞬時に回していたと思うのですが、それでも水口氏が流石なのは 「マスターのスケジュールが迫っているけど、チームにも相談してみる」と否定はしないのです。彼もマイケルがゲームに楽しいスパイスを与えられるかもしれないと感じてくれたようです。

水口氏がうまくチームと話したのでしょう、チームとして前向きに考えてくれ、逆に幸運な話だと喜んでくれました。マイケルの役を大至急作り、数は少ないもののセリフまで用意してくれたのです。マイケルとの間に立っているエージェントに資料を送り、マイケルの録音したセリフを送ってもらうよう頼みます。マイケルも本気なのか、音声データをすぐに送ってくれました。

しかし、なかなか物事はうまくはいきません。送ってくれた音声が小さかったり、はっきりしていなかったりでセリフの質が今一つな為、ゲームに使えないと制作チームから言われてしまいました。あのマイケルに駄目出しをするのはつらいものの、エージェントにセリフの雰囲気や状況を伝えた資料を添えて、もう一度彼の音声取りを依頼します。すると、今度はセリフとともにチームに対する応援メッセージまでつけてマイケルが音声データを送ってきてくれたのです。

急ぎマイケルの音声データをチームに渡し、ゲームの発売スケジュールやマーケティングに関する打ち合わせを、当時水口氏が拠点としていた渋谷のスタジオでしていた時、最初に書いたようにマイケル・ジャクソンからの直電がかかってきたのです。今度のセリフは使えるか心配だから電話をしてきてくれたのだそうです。

今度のセリフは大丈夫だと既にエージェントに連絡をしていましたが「今回のセリフは品質が素晴らしかった」「マイケルからのメッセージに制作チームのみんなが勇気づけられた」そして時間が差し迫っている中、素早い行動で協力してくれたことに直接感謝の言葉を告げました。電話越しでも、マイケルがとても嬉しそうに反応してくれているのが感じられ、最初に会った時に怒っていたマイケルが、最終的に非常に喜んでくれたことにほっとしてその日は電話を切りました。

『スペースチャンネル5』 (C)SEGA

それから、ちょくちょくマイケルから電話がかかるようになります。内容は色々あって、「スタジオでの収録後で疲れている」とか「ソニーミュージックが自分の音楽プロモーションを本気でしてくれない」という愚痴や「”スペースチャンネル5”の続編はいつでるのか」など、事あることにまるで友人に気軽に電話をするように、何の前触れもなく急にかかってくるのです。その中でも特に印象深い出来事がありました。「ShujiがL.A.に出張する時には、迎えを用意するから仕事の後会ってくれ」と言われたのです。

約束通り、L.A.への出張時にマイケルに連絡をいれると、約束の時間にホテルの前にリムジンが停まっていました。それに乗り込み、2時間近くかかったでしょうか、ついたところはネバーランドと呼ばれるマイケルの当時の自宅でした。夜も遅い時間だったこともあり、マイケルはパジャマ姿で出迎えてくれ、熱心に自分が「”King of Pop”としてあらゆるメディアに出て、中でも子供たちが大好きなゲームの世界でもスターとしてみんなに夢を与えたい」と熱く訴えるのです。

大スターであり、私のアイドルでもあるマイケルから熱心にピッチを受け意見交換をしながらも、仕事上over commitment (過剰な約束)をしないように気をつけてもいました。そんな、夢のようでもありかつプロフェッショナルな感覚を持ち続けないといけない時間でしたが、それ故いろんな経験値が上がったかもしれません。

帰国後、バブルの喧騒を反映した渋谷の交差点で、多くの人たちが行きかう風景をぼんやり眺めながら、全世界のあこがれのマイケル・ジャクソンと携帯電話で話していた私は、マイケルとの会話に集中しながらも、「これってもしかするとすごいことだよなぁ」と冷静なのか自分に酔っていたのかわからない瞬間が今でも深く記憶に残ります。

ゲームがリリースされると、マイケルより ”To Shuji, Thank you so much. I am happy. My dreams come true” というメッセージ入りの写真をもらいました。彼の気遣い、むしろプロフェッショナルな側面なのかもしれませんが、さすがだと思いました。幸運なことに、彼のライブを一度観ることが出来ていましたが、あのとんでもなく凄い光景にもう出会えない、マイケルともう仕事をする可能性がゼロになってしまっているというのはとてもつらいことです。

昨年”スペースチャンネル5”は発売から20周年を迎えました。何の因果か、私は再びセガに戻り、現在は開発のヘッドになっています。もしマイケルが生きていたら、”スペースチャンネル5”のリメイク版を企画して、出演交渉をするということがあったかもしれない。そうしたら彼は果たして出演してくれただろうか、などと勝手に想いを巡らせます。今なら、あのゲームも斬新すぎるということもなく、素晴らしいスタッフがそろえば、マイケルの参加でかなり面白い作品にもなるなとバーチャル皮算用を楽しんでいます。

Entertainment Business Strategist
エンタメ・ストラテジスト
内海州史

内海州史

1986年ソニー㈱入社、本社の総合企画室に配属。その後、社内留学制度でWhartonでMBA取得。ソニー・コンピューエンタテインメントの設立、プレイステーションのアメリカビジネスの立上げに深く携わる。その後、セガ取締役シニア・バイス・プレジデントに就任し、ドリームキャストの立上げを経験。ディズニーのゲーム部門のアジア・日本代表時に日本発のディズニーゲーム作品『キングダムハーツ』の大ヒットに深くかかわる。2003年にクリエイターの水口哲也氏と共にキューエンタテインメントを設立し、CEO就任。ビデオゲーム、PCやモバイルゲームにて多くのヒットを輩出。2013年ワーナーミュージックジャパンの代表取締役社長に就任し、デジタル化と音楽事務所設立を推進。2016年にサイバード社の代表取締役社長に就任。現在株式会社セガの取締役CSO、ジャパンアジアスタジオ統括本部本部長。