Dec 17, 2020 column

26:日本でも大ヒット!プレイステーション向けゲーム 『クラッシュ・バンディクー』との最初の出会い

A A

業界のプロフェッショナルに、様々な視点でエンターテインメント分野の話を語っていただく本企画。日本のゲーム・エンターテインメント黎明期から活躍し現在も最前線で業務に携わる、エンタメ・ストラテジストの内海州史が、ゲーム業界を中心とする、デジタル・エンターテインメント業界の歴史や業界最新トレンドの話を語ります。

26:日本でも大ヒット!プレイステーション向けゲーム 『クラッシュ・バンディクー』との最初の出会い

25「 『リッジレーサー』をバンドルした、米国でのプレイステーションローンチ」はこちら

米国でのPSローンチ前、サードパーティリレーション(Third Party Relations=TRP)の営業をしている時に、日本のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE/ 当時)の業務部と営業から、日本で作った流通の仕組みを米国でも導入しないかとアドバイスをもらいました。

日本では、任天堂が初心会という問屋グループを作りゲームの流通を支配していたのですが、SCEではPSのゲーム販売にあたり、音楽CDの流通の仕組みを利用した新たな問屋の仕組みを作ったのです。まず全てのタイトルをSCEを通すことにより、店頭販売までのリードタイムを大幅に短縮できる新たな流通システムを作りあげていたのです。

私も、日本でPSの事業計画を作っていたので、その日本特有の問屋のプログラムと新たに作り上げた流通の仕組みは理解していました。しかし、調査してみると米国では任天堂ですら流通の支配ができていなかったのです。その理由は、自社問屋流通の強要が米国では独占禁止法に触れる可能性が高いこと、もう一つは米国では流通が強く、問屋が影響を与えるのに限界があり、そもそも論として問屋には力がないということでした。

ただ、日本のサードパーティ担当部門の業務部の話によると”PSの任天堂との差別化”は、新しいクリエイターやパブリッシャーを発掘し新しいゲームを提供することだが、その様な新しい開発会社は米国への流通に興味があっても全く対応できないということでした。

また、日本のファーストパーティ担当の開発部門からも、日本発のゲームを米国で売りたいが助けが欲しいとのこと。そこで早速、米国で日本のタイトルを売る部門を立ち上げようとビジネスプランを書き、提案します。米国のSIEの社長は日本のゲーム開発にはあまり興味もなく、あっさり認められました。

それに伴い、人事経由で人材を募集するために他社の応募要項を参考に、自らジョブディスクリプションを書きます。組織を自ら立ち上げ、組織の外から人を雇うという初めての経験でしたが、ローカリゼーションの担当と商品評価をするテスター上がりのアシスタントプロデューサーを雇いチームを作り、TPRの仕事をしながら半年程で新組織をたちあげました。当時は私にも追い風が吹いていたのでしょう。この新組織でいくつかのプチヒットが出て、CDという新しいゲームメディアの原価の低さも助けとなって、非常に大きな利益を上げることが出来ました。

『闘神伝』『クールボーダーズ』『アクアノートの休日』『モータートゥーン』『ジャンピングフラッシュ』『トバルナンバーワン』『キングオブファイターズ』などのタイトルがありましたが、これらのタイトルをほぼ一人で交渉し、販売プランを立て、自身のチームでローカライゼーションし、マーケティングと相談して発売していく・・・。当時はまだ若く、知識もそこまでなかった中、さぞかし色々な方に迷惑をかけていただろうなと、今思いだしても苦笑いしてしまいます。ただ、バックオフィスの立場から、サードパーティの営業をやり、交渉して商品を仕入れ、開発の仕事まで携わるといった業務範囲を短期間で広げて、怒涛のように業務をこなしていく事は、ビジネスの急激な成長を感じて、忙しい中とても仕事を楽しんでいました。

そのような日々を過ごしていたある日、仲良くしていたテスターから面白い話を聞きます。定期的にサードパーティの商品をテストする仕組みがあったのですが、その中でとても可能性のある3Dアクションのプラットフォームゲーム(スクロール画面でキャラクターが走ったり、ジャンプしたりしながらステージをクリアしていくゲームをプラットフォームゲームと呼びます)があると。

任天堂には『スーパー・マリオ』、セガには『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』がありましたが、ソニーにはキャラクターゲームはなく、課題として議論はされていました。そのキャラクター受けを狙ったレースゲーム『モータートゥーン』はそこまで盛り上がらず、米国でもプラットフォームゲームは開発していませんでした。

その様な状況だったので面白いと思い、TPRのVPとそのゲームの開発会社を訪れました。開発会社の名前はNaughty Dog(ノーティードッグ)。この開発会社は、カリフォルニア州のUniversal City(ユニバーサルスタジオのオフィスエリア)内にありました。新規にできたユニバーサルのゲーム部門Universal Interactive Studiosが、開発費用と環境をNaughty Dogに与えプロジェクトを進めていたのです。

さらに驚いたのは、プロデューサーと責任者として雇われていたのがMark Cerny(マーク・サーニー)だったのです。彼は現在PS5のリードアーキテクトとして有名ですが、当時はSEGA of AMERICAで『ソニック2』を制作したり、PSのライバルプラットフォームであった“3DO”の看板ゲームを作っていた開発会社Crystal Dynamicsの『クラッシュアンドバーン』等の制作を行う非常に目立った存在のクリエイターでした。日本語も流暢に操り、飛び級して大学に入るなど天才プログラマーとしてもその存在を知られていました。

Naughty Dog自体も非常に特徴的でした。たった8人のメンバーで、オフィスには黒い大型犬も飼われていました。その様な環境下で、メインプログラマーのAndy Gavin(アンディ・ゲビン)とアーティストのJason Rubin(ジェイソン・ルービン)を中心に、ユーモアのある3Dキャラクターが動き回る縦スクロール型のプラットフォームゲームを作っていたのです。Markの話によれば、彼自身ゲームのプロデューサーを務めながらステージのマッピングまで助けているくらいの小さいチームでした。

ゲームの名前は、”Wally the Wombat”。ユニバーサルのプロジェクトということもあり、少しワーナー映画のキャラクターを意識しているようでした。のちに、SCEと仕事をすることが決まると、SCEのマーケティングが“Crash Bandicoot(クラッシュ・バンディクー)” というちょっときつくてユーモアがあるトーン(前は少しおっとりしていてとぼけたトーンなのです。その違いが判りますか?)に名前を変更します。

このゲームを見て、これはPSの看板ゲームの一つになるかもしれないと思いました。プレイステーションで3Dのゲームが新たに誕生していく中、横スクロールではなく奥行きを感じる縦スクロールのプラットフォームゲーム。今までにない初めての試みでした。また、キャラクターもユーモアがあり、ゲームを初めて早い段階で、その面白さが伝わってきます。

ちなみに、Naughty Dogはこの数年後にSCEに買収され、ファーストパーティの中心的なゲーム(『ジャックアンドデクスター』、『アンチャーテッド』、『The Last of us』他)を多数リリースすることになります。

これは非常に面白いゲームだと思い、次にビジネスの話に移ります。Mark曰くあるパブリッシャーと契約をする寸前だということでした。しかし、日本のマーケットに非常に想いをもっていたMarkからは、欧米だけでなく日本も含めてうまく売ってくれる関係もしくは数量をコミットできるのであれば、現在の交渉をひっくり返せるかもしれないとの助言をもらいます。交渉中のパブリッシャーとの契約のサインは絶対しないようにくぎを刺して、数週間でSCEの立場を表明することを約束してその日は帰りました。

欧州では、自分達が日本で買い付けたゲームを売るビジネスをすでに行っていたパートナーの立場であったので話はすんなり通ります。ところが日本が少し厄介だったのです。

以前このコラムで書いた様に当時のSCEの体制は、日本・米国・欧州とグローバルな協力関係はあったものの、欧州と米国は米国エンタテインメント部門の下にあり、日本は本社“的”な独自の組織でもあったのです。日本のマーケティングも開発部隊も独自なノリの文化を持っていたので、海外のゲームを日本で強く推して売りたいとは言わない可能性も高く、打診するのはちょっとしたチャレンジでした。

その様な状況下で、開発途上のビルドと言われる段階のゲームをもってパブリッシングのコミットメントをもらいに各部署を回ります。当時、日本のSCEにはまだ海外のゲームを日本で発売する仕組みがなかった為、開発制作チームを訪ねたのですが、色よい返事はもらえません。ある意味ライバル商品として見られ、評価も低いものでした。

そこで、色々と海外向けの商品を紹介してくれていた日本のサードパーティー担当部門の業務部にゲームを見せに行きます。PSの立ち上げの初期メンバーで、私と同じくコーポレート部門から新しいビジネスに飛び込んできいた吉田修平さん(現在、SIEワールドワイド・スタジオ プレジデントでSIEのゲーム開発事業の責任者)にみせたところ、これは面白いというコメントをもらい、サポートを約束してくれます。最終的には彼の推しをもらいそこで、マーケティングや販売数のコミットメントももらいます。今から考えると、もはや組織とかプロセスというものが機能していませんでしたが、面白いものにはどんどん飛び込んでいき、なんとかしようといった勢いが当時のSCEにはあったように思います。

このようにして、グローバルのコミットメントを取りそろえ、当時としては比較的高い販売数量と契約金額を権利元のUniversal Interactive Studiosに提示。少々強引な形だったかもしれませんがパブリッシングの権利を無事勝ち取りました。

26:日本でも大ヒット!プレイステーション向けゲーム 『クラッシュ・バンディクー』との最初の出会い
限定60枚だけプリントされた、開発者の名前入り『クラッシュ・バンデクー』リリース記念ポスター(著者所蔵)

当時、Universal Interactive Studiosはこのクラッシュのキャラクターを使いたいという理由で、キャラクターの権利はとれませんでした。更に、1996年に米国、欧州、日本と順に発売された『クラッシュ・バンディクー』は結果的にはSCEが提示したミニマムギャランティの軽く10倍以上の数を売り上げた為、Naughty DogもUniversal Interactive Studiosもものすごい利益を上げることとなりました。当然SCEもこのビジネスで大きく利益を得ましたが、あの時私達がさらにプッシュしていればクラッシュのキャラクターはSCEのキャラクターとして今なお活躍していたかもしれません。

Entertainment Business Strategist
エンタメ・ストラテジスト
内海州史

内海州史

1986年ソニー㈱入社、本社の総合企画室に配属。その後、社内留学制度でWhartonでMBA取得。ソニー・コンピューエンタテインメントの設立、プレイステーションのアメリカビジネスの立上げに深く携わる。その後、セガ取締役シニア・バイス・プレジデントに就任し、ドリームキャストの立上げを経験。ディズニーのゲーム部門のアジア・日本代表時に日本発のディズニーゲーム作品『キングダムハーツ』の大ヒットに深くかかわる。2003年にクリエイターの水口哲也氏と共にキューエンタテインメントを設立し、CEO就任。ビデオゲーム、PCやモバイルゲームにて多くのヒットを輩出。2013年ワーナーミュージックジャパンの代表取締役社長に就任し、デジタル化と音楽事務所設立を推進。2016年にサイバード社の代表取締役社長に就任。現在株式会社セガの取締役CSO、ジャパンアジアスタジオ統括本部本部長。