Jul 30, 2020 column

06: プレイステーション米国ローンチの混乱と成功

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自分が用意したタイトルが売れていく様子をみて、その時の嬉しさが自分のその後のキャリア形成に繋がっていきます。それに、恐らく私は当時ゾーンに入っていたのでしょう。Naughty Dogというパブリッシャーのプロデューサーで、今ではソニーのハードウェアのチーフアーキテクトでもあるマーク・サーニー(Mark Cerny) に出会い、その後プレイステーション向けのゲームとして発売される『クラッシュ・バンディクー』の全世界での販売権も獲得しました。

それなのに、そんなにうまくいっていたのに、なぜそんな事をしてしまったのか今でも時々考えたりもしますが、私はソニーをやめて、セガに転職してしまいます。今回は、米国のプレイステーションのローンチの話なので、この話はここまでにしておきますが。

その後、日本では任天堂向けに『ファイナルファンタジー(FF)』をリリースしていたスクウェア社がプレイステーションへの参入を決めます。今年リメイク版が発売されましたが、スクウェアが制作した大ヒット作『FF7』が他社のゲーム機を退けたことが、プレイステーションの日本市場での優位性を決定づけました。

一方、米国では当初よりプレイステーションが他社を引き離して市場でリードしていました。ゲームのラインアップは充実しており、米国では必須のスポーツゲームは自社やElectronic Artsのタイトルもありました。格闘ゲームも『闘神伝』といった作品もあり、サードパーティも充実していました。そのようにして、マネジメントが混乱したり、収益性で非常に苦労をしながらも、市場競争には確実に勝利を収めるサイクルに入っていったのです。

あれから25年の歳月がたちました。当初マークや私たち3人が借りていたソニーミュージックのLAオフィスは現在、SCEから名称が変更されたSony Interactive Entertainment LLC(SIE)のオフィスになり、一部をソニーミュージックが間借りしているそうです。プレイステーションビジネスは、今や米国が本社なのです。

この状況はとても理にかなっていると思います。当時に比べ事業の中心が日本ではなく海外に移っており、ゲームビジネスは音楽ビジネスをはるかにしのぎ、米国発のビジネスは日本発のビジネスをはるかにしのいでしまっています。当時はまだ規模の小さかったElectronic ArtsやActivisionは、すでに規模もクオリティーも日本のサードパーティをはるかに凌駕してしまっています。

7-8年おきに起きるゲーム業界の大戦争の年である2020年。今年はGAFAまで参入しており、過去に比べても今回の顔ぶれは格段に派手ですが、その中で日本のプレイヤーが世界に伍して戦っていく姿を私は非常に期待しています。

Entertainment Business Strategist
エンタメ・ストラテジスト
内海州史

内海州史

1986年ソニー㈱入社、本社の総合企画室に配属。その後、社内留学制度でWhartonでMBA取得。ソニー・コンピューエンタテインメントの設立、プレイステーションのアメリカビジネスの立上げに深く携わる。その後、セガ取締役シニア・バイス・プレジデントに就任し、ドリームキャストの立上げを経験。ディズニーのゲーム部門のアジア・日本代表時に日本発のディズニーゲーム作品『キングダムハーツ』の大ヒットに深くかかわる。2003年にクリエイターの水口哲也氏と共にキューエンタテインメントを設立し、CEO就任。ビデオゲーム、PCやモバイルゲームにて多くのヒットを輩出。2013年ワーナーミュージックジャパンの代表取締役社長に就任し、デジタル化と音楽事務所設立を推進。2016年にサイバード社の代表取締役社長に就任。現在株式会社セガの取締役CSO、ジャパンアジアスタジオ統括本部本部長。