映画と料理、ふたつの物語
ニコラス・ホルト演じるタイラーは、映画の前半でスローヴィクのことを「語り部」だという。実はこの言葉こそ、本作に仕掛けられた二重構造、ふたつのストーリーを示唆するものだ。ひとつは、マーゴが高級レストラン・ホーソンで奇妙な出来事に巻き込まれ、やがてスローヴィクに対峙する物語。もうひとつは、そのスローヴィクがコース料理を通じて客人に語りかける物語=コンセプトである。
なぜ、マーゴだけがスローヴィクと対決できるのか。そのヒントは、まさしくこの「物語」にある。スローヴィクは厳格なルールのもとでコンセプトを語るが、そもそもマーゴの存在はそこに想定されていなかったのだ。“招かれざる客”マーゴと、“ゲームマスター”のスローヴィクをはっきりと対立させながら、本作はスローヴィクが紡ぐ(コース料理の)物語と、そこから逸脱するマーゴの物語を重ね合わせ、ひとつの巨大な物語を編み上げていく。
ポイントは、映画全体の物語とコース料理が徹底的に重ねられていることだ。料理ごとに章立てされた脚本構成、オープニングの「極上体験へのいざない」とラストシーンの“とある音”で全編を挟む構造。そして何よりも、スローヴィクによる物語=コンセプトの着地点である。
やがて料理の進行とともに浮かび上がるのは、自らの美と哲学をひたすら追求するスローヴィクに代表される“創造”と、彼を取り巻く客人やスポンサーに代表されるビジネスや批評、そして業界における奉仕と搾取の物語だ。「メディア王」や数々のアダム・マッケイ作品と同じように、本作は料理界を舞台にしながら、より大きな問題――映画を含む芸術全般や、あるいは社会構造のはらんでいる絶望的な不均衡――を告発しようとしている。
つまり、劇中でシェフが口にする「コースのコンセプトを完遂する」というキーワードも二重の意味なのである。スローヴィクのコンセプトが客人たちにすべて明かされるとき、この映画のコンセプトもすべて明らかになる。逆に言えば、ラストシーンでこの映画が物語を語り切るとき、スローヴィクのコース料理もようやく終わるのだ。「映画全体の物語とコース料理が徹底的に重ねられている」とはそういう意味で、もはや私たち観客も、最後の瞬間にはスローヴィクの客人にほかならない。
だからこの物語は、再鑑賞時にその見え方をがらりと変えることになる。2度目の鑑賞時には、スローヴィクの真意が冒頭から克明に浮かび上がり、あちこちに散りばめられた仕掛けにも気づくことだろう。また、マーゴとの対決やその結末の意味もまったく違った形で見えてくる。まるで騙し絵のようだが、それこそが優れたミステリーの証左。極上の物語体験を、ぜひもう一度味わってほしい。
文 / 稲垣貴俊
太平洋岸の孤島を訪れたカップル。お目当ては、なかなか予約の取れない有名シェフが振る舞う、極上のメニューの数々。ただ、そこには想定外の“サプライズ”が添えられていた‥‥。
監督:マーク・マイロッド
製作:アダム・マッケイ
出演:レイフ・ファインズ、アニャ・テイラー=ジョイ、ニコラス・ホルト、ホン・チャウ、ジャネット・マクティア、ジョン・レグイザモ ほか
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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