May 20, 2022 column

『大河への道』は教科書では教えてくれない日本人の歩き方を教えてくれる

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伊能忠敬は江戸時代の勤勉セレブ

伊能忠敬記念館で脚本家・加藤は、200年前にも関わらず、誤差が0.2パーセントとほぼ狂いのない「大日本沿海輿地全図」を目の当たりにし、鳥肌が立つほど感銘を受ける。そしてその偉業を大河ドラマにすべくシナリオに着手する。

実際、伊能忠敬の成したことは、教科書で2、3行で済まされるレベルではない。ここでざっくり伊能の生涯を紹介する。
幼いときに母と死別。父に一度捨てられ、17歳で年上後家さんの婿養子に出され、商売人の才覚を発揮、地元の名士となる。資産は現在の金額で40億円以上 (1両20万円計算、以下同) のスーパーセレブだ。

49歳で家督を息子に譲ると、鎖国時代に外国から資料を個人輸入をするほど、傾倒していた趣味の天文学を50歳から学び、自らの資産4940万円を持ち出し、地図を作っていたら、国家的大事業になってしまった。知人、師匠、義父、地元民などに協力を仰ぎ、精力的に生き、73歳までの生涯に4人の伴侶を持ったとされている。令和の世でいうと、宇宙へ旅行にいったり、ロケットをつくったりするようなスケールのことを江戸の世でやってのけたのだ。自らの事業のためではなく国のために。

行った測量遠征もハードスケジュールだ。本作の監修としてクレジットされている伊能忠敬研究会発行の「伊能忠敬研究 2013年69号」によると、当日測量した分までを図に仕上げることを目標とし、晴れた夜は約2、3時間かけて星を20〜30個観測、21:00〜22:00ごろ終了。そして夜明けとともに測量へ再び出向く。残業前提のスケジュールで、断崖絶壁など危険な場所では命を落とす者もいたという。

企画・主演 中井貴一、時代劇への熱い想い

加藤が考えてきたシナリオが本作での時代劇パート。つまり、想定される大河ドラマを一気に70分強で魅せることになる。
これが予告編の松山ケンイチではないが「すげぇいい話」だ。それだけじゃなく「ただの人情噺」ではない面白い脚本だと思う。

「今しばらく伊能先生には、生きていていただきましょうか」という一言から始まる物語。天文学者・高橋景保と測量隊たちは、伊能忠敬の死を幕府に隠し、命を賭けて日本地図を完成させようとする。

時代劇パートでは、伊能の上司にあたる高橋景保を中井貴一、その腹心の又吉を松山ケンイチが務め、現代パートで香取市役所の仲間たちが測量隊となる。日本映画界のトップランナーである俳優陣が全員一人二役を演じるところは、この映画の見どころのひとつ。

コメディである現代パートで、大河ドラマ化に向けて懸命だった池本こと中井。それを傍目に見守っている程度だった仲間たちが、シリアスな時代劇パートでは、測量隊として地図作成を続けようと、必死に中井こと高橋景保を説得するのだが、この構図が逆転しているのも面白い。

現代、時代劇ともにプロジェクトを遂行するために奔走する中間管理職の中井貴一。本作では、彼のいいところ、みんなが好きなところが全部出ていると思う。

現代でパッとしない総務課主任のしどろもどろになって情けない姿やコミカルな演技で笑いを誘い、時代劇では、勘定奉行の追求をのらりくらりとかわし、決めどころでスッと空気感を変え、観客の涙を誘う。

確かに、測量隊から「若先生」と呼ばれる違和感はある。実際、伊能が亡くなったとき高橋景保は33歳。現在60歳を超えた中井貴一とは開きがある。それでも余りあるほど素晴らしかった。

映画化の了承を得るため、立川志の輔にすぐ電話をかけ、「裏方でもいい」から時代劇を残したいという、”企画・主演”中井貴一の熱い想いが伝わる。

このように現代パートとのつながりを感じながら、全員の一人二役を観ているとより楽しめる。個人的にこの一人二役は、原作落語へのリスペクトだと勝手に思っている。時代劇と同じく、日本の文化、伝統である落語自体、噺家が一人で何役も演じて演目をかけているからだ。

そういう意味で、松山ケンイチが演じる、木下浩章と又吉は粗忽者だ。中井貴一と同様、現代でも江戸時代でも同じ立ち位置にいる狂言回しで、とぼけたことを言うが、たまに確信をつく。物語のメインに常にいるわけではないけれど、彼がいることで観客をスクリーンのなかへ入りやすくなる。

そして、時代劇にも落語にもよく登場する、色気があって、頭も回る、いわゆるいい女を演じるのが北川景子。彩り豊かな着物をまとい必要以上に艶めかしい。彼女が演じたエイは、伊能忠敬53歳のときの4人目の妻で、内縁関係にあった女性。実際彼女は才女であったようで、名家の出ではないかとされている。それにしても、あまりにいい女過ぎて、周りと比べて浮いているくらい魅力的だ。きっと、わざとらしく強調することで、時代劇を分かりやすくしているのだろう。

中井貴一が残したいと思った時代劇という日本の文化。これはつまり日本人の心持ちを伝えているように思う。

時代劇パートのクライマックス、後に伊能図と呼ばれる「大日本沿海輿地全図」がついに完成する。3年間、将軍を謀り、幕府から費用を捻出させ続けていたが上納する日が来た。

測量費用として1200万円(17カ月分の目安)をつど請求し、総予算330億2480万円かけた国家プロジェクト(「伊能忠敬研究 2012年67号」より)。これに虚偽の報告をし、勝手に進行したわけだから、断罪必至だ。

大図(約47m×45m 1/36000縮尺)214枚、中図(約9.1m×7.6m 1/216000縮尺)8枚、小図(約4.5m×3.9m 1/432000縮尺)3枚。つなぎ合わせて約600平方メートル。25mプール2つ分くらいの大きさの日本地図を「伊能はおらぬのか?」と問う将軍に、「伊能はここにおります」と高橋景保が披露する。

「余の国は、かようなかたちをしておったか、美しいのう」

草刈正雄演じる11代将軍・徳川家斉のこの言葉に、登場人物、演者、制作スタッフすべての思いが集約されているように感じた。この件、もう涙腺崩壊すること間違いなし。